伊藤の補題を簡単に証明しよう。伊藤の補題はもともと伊藤積分を基礎としており、伊藤積分は2次平均収束という概念を利用する。ブラウン運動を代表とする確率変数が至るところ微分不可能で、変分が(-∞,∞)に渡り、有界でないことによる。したがって微分表現でdWと表しているものはあくまでも形式的であることは覚えておいたほうがよいだろう。そして積分もふつう高校で習うリーマン積分とは異なる定義を持っているから、なじみ深い解析演算は利用できない。あくまでも確率項に対する計算が必要となる。
しかし、ここでは厳密な議論に立ち入ることなく伊藤の補題を導出してみよう。まず計算上有用なエッセンス2である。それは次のものであった

この式の意味するところは、微小のブラウン運動の変化分の2乗が不確実性の無い時間の微小変化分になることを示している。それは何故だろうか。不思議に思うかもしれないが、たとえば次のように直観的な説明をすることができる。ブラウン運動をランダムウォークの極限とみれば、元となるランダムウォークは微小期間では確率的に+1か-1で進む。しかしこの変化分は2乗してしまうと、いずれも+1であって、微少単位時間+1の変化は+1であることになる。確率がどのように割り当てられようと、+1単位時間進むと+1増加することが決まってしまう。すなわちここにはもはや不確実性は無い。エッセンス2は直観的にはこのような理解が可能である。
直観的な説明をもう少し理論的に組み立ててみよう。dWが確率項であるので、まず期待値E[dW2]を計算する。
dW=Wt-Ws (s<t,s→t)
dt=t-s (s→t)
を使って、
E[dW2]=E[(Wt-Ws)2]
ブラウン運動の定義から、E[Wt-Ws]=0であるので、
E[(Wt-Ws)2]=E[(Wt-Ws)2]-{E[Wt-Ws]}2
=V[Wt-Ws]=t-s
故に、
E[dW2]=dt
次に分散V[dW2]を計算する。
V[dW2]=E[dW4]-(E[dW2])2
=E[dW4]-dt2
としておいて、積率母関数Mを利用する。積率母関数は確率変数のべき乗の期待値をもたらすという便利な性質がある。すなわち
M(k)(0)=E[xk]
であるから、たとえば、M(1)(0)=平均、分散=M(2)(0)-(M(1)(0))2 となる。
dWは正規分布に従いN(0,t-s)であるので、積率母関数は、
E(exp(ux))=exp(μu+σ2u2/2)
にμ=0、σ2=t-s を代入すると、
M(u)=E(exp(ux))=exp((t-s)u2/2)
となる。ちなみに、検算を兼ねて期待値から求めてみよう。
M’(u)=(t-s)uexp((t-s)u2/2)
なので、M’(0)=E[dW]=0
M”(u)=(t-s)exp((t-s)u2/2)+(t-s)2u2exp((t-s)u2/2)
より、M”(0)=E[dW2]=t-s=dt
続けて、
M(3)(u)={3(t-s)2u +(t-s)3u3}exp((t-s)u2/2)
M(4)(u)={3(t-s)2+6(t-s)3u2+(t-s)4u4}exp((t-s)u2/2)
故に、
M(4)(0)=E[dW4]=3(t-s)2=3dt2 (s→t)
したがって、
V[dW2]=3dt2-dt2=2dt2
ところが、これまでわれわれは、極限を考えたときに微小変化の2次のオーダーはすべて省略しても整合性は保たれうるという立場で議論を進めてきた。2次のオーダーはそれほどに小さいということである。この立場をここでも貫くとしたらば、
V[dW2]=0
としてよいことになる。すると、dW2とは、期待値がdt、分散が0ということである。分散がゼロということは不確実性は無いということになり、dtは期待値ではなく確定的な数値として定まることとになる。従って、伊藤の補題のエッセンス2が証明できた。
エッセンス1の証明は、エッセンス2を認めれば簡単にたどりつく。その内容はつぎのものであった。

ここで、ふつうの2変数関数のテイラー展開を考える。テイラーの定理を無限級数として考えると、

にF(t,St)を代入する。
![]()
この右辺の括弧の中について2次以上の項を省略する。括弧の中は(dt)2、(dtdSt)、(dSt)2の項からなるのだが、そのときエッセンス2によって、1次のオーダーとなるの可能性のある項は、確率項を含む(dSt)2だけであるので、これを残して省略する。すると伊藤の補題が得られることになる。