ウォール街でもっとも有名な日本人は誰かという問いに、どこかの大手の金融機関のトップやトレーダでもなく数学者の伊藤ではないかという答えは一時期よく聞かされた話しだが、確かにR.マートンが初めて活用したといわれる伊藤の補題はファイナンスの中で非常に大きな重要性を持つ。伊藤積分に関する理論は極めて興味深く、ファイナンスへの応用は後発であって確率論の域を超えて物理や工学の中で活用され、偏微分方程式との関係などにも発展している。
伊藤の理論の定義や主要な結論はまったくエレガントで明快であるが、根拠とする数学は非常に高度であるため、なかなか理論的な枠組みから把握することは難しい。一方でファイナンスだけでなく多方面で適応された理由は、根拠とする数学にさほどこだわることなく結論の応用が比較的簡明に行えることである。そこでこの項では数学的な理論構築をはずして、いきなり応用の手法から入っていきたいと思う。
とはいえ、応用にあたっても最低限覚えておかなければならないことを挙げておこう。それは伊藤の補題、伊藤のレンマあるいは伊藤の公式と呼ばれるもので、解析における関数の微分の連鎖ルールに該当する。


エッセンス1についていえば、ふつうの2変数の全微分を考えていただければ、右辺で第3項が追加されていることに気がつくだろう。そしてその第3項が追加される理由がエッセンス2なのである。なぜなら全微分でもテイラーの定理でもそうだが、関数を展開して近似するときに、数値的にはもちろん理論的に齟齬を出さないためには1次項以下を残すことである。ところがエッセンス2の主張はブラウン運動が含まれる確率過程は、2乗すると1次項に戻るものが含まれていることにある。このため(dS2)が省略できなくなるのである。
伊藤の補題は言葉で説明するより、例題を確認するのがもっとも近道であろう。ファイナンスに近いものをあげよう。

右辺第3項の展開では、(dt2)=(dtdW)=0 としている。
次にdS=dW としてみよう。

二つの例では少ないかもしれないが、元になる確率項dSの形式によって従属する関数の微小変化の形が変わり、連鎖していることが分かるだろう。
次に関数Fに具体的な形を与えてみよう。確認するまでもないが、

一歩進んで、

ファイナンスで多用される指数を含んで、

である。もっとも具体的な問題として連続株価過程を確認しておこう

ブラックとショールズが研究を始めた株価過程が得られた。