勝ち組が消した開国の真実
 
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目次と内容

第一章日米和親条約
アメリカの西進 ペリー提督と米墨戦争 孤独なアメリカ  ペリー艦隊の来日 
国内の反応  ◆ペリー艦隊の再来と英仏露の動き ロシアの対日外交 
徳川幕府とペリー艦隊の神経戦 日米和親条約締結 長崎海軍伝習所
幕府海軍の創設


西進するアメリカの高圧的開国要求に 対し
老中阿部正弘は国内の親露反米論を抑え
て 開国を決断。
  幕府は人材登用を進めるとともに、アメ
リ カ 海軍に対抗し対米七割の幕府海軍を
創設。
 

第二章日米通商条約 
徳川幕府の開国方針 アメリカ総領事ハリスとの通商交渉 雄藩連合と処士横議
朝廷の攘夷論 井伊大老の登場  ◆そもそも鎖国とは何だったのか 
南蛮貿易とキリスト教 オランダの対日貿易 アメリカの焦燥  ◆通商条約再諮問 
井伊大老の遺勅調印


イギリスの清国への砲艦外交を見て
日本もイギリスの膝下に押え込まれる
と焦ったアメリカ総領事ハリスが
日米通商条約締結を要求。
 井伊直弼は朝廷から勅許を得られ
ぬまま条約調印。
 
 

第三章公武合体の思想 
第十四代将軍家茂 皇女和宮の降嫁 遣米使節団  咸臨丸の太平洋横断 
木村攝津の守と福沢諭吉  ◆長州藩の公武合体論 対馬事件  アメリカの退潮 
イギリス総領事オールコック ロンドン覚書 薩摩藩の公武合体論


皇女和宮が将軍家茂と結婚し朝幕間に
妥協が成立。
 幕府が遣米使節団を送り親米色を
強めると、イギリス公使オールコックは対日
微笑外交を展開。
  幕府は米英両国から近代的知識を得る。
 

第四章京都守護職 
異人斬り 天誅の猛威 京都守護職の人選  松平容保、京都守護職に就任 
京都の治安崩壊  ◆言語洞開 将軍家茂の上洛  攘夷開始期日 
長州藩の攘夷断行とオランダの対日姿勢転換 8・18政変 新撰組登場
新撰組の池田屋斬り込み 蛤御門の変


京都を中心に尊王攘夷・天誅という激しい
開国反対運動が生じ、警察機能は崩壊。
 京都守護職松平容保と新撰組が治安
維持にあたる。幕府と尊王攘夷派の対立は
抜き差しならないものに。
 

第五章条約勅許 
遺勅調印の矛盾 開国延期策 生麦事件  薩英戦争前夜  ◆南北戦争の戦況
幕府は対英戦争を回避 薩英戦争 薩摩藩の密輸入 下関戦争 
賠償金300万ドル  第1次長州征伐 功山寺決起 イギリス公使パークスの来日 
条約勅許


違勅の通商条約は批准されておらず
生麦事件、薩英戦争など混乱を生じた。
  イギリス公使パークスは条約勅許を要求。徳川慶喜が孝明天皇を説得して勅許
を 獲得し、条約の批准が成立。

 

第六章兵庫開港 
長州藩の武器密輸入 四国共同覚書 武器商人グラバーの暗躍  
グラバーの三角貿易  坂本竜馬  ◆薩長同盟 イギリスの対日政策 
アーネスト・サトウの『英国策論』  第2次長州征伐 芸州口の戦闘  
九州小倉口の戦闘 石州口の戦闘 将軍家持の死
一橋慶喜、徳川宗家を相続 フランスの対日外交 フランス型幕府陸軍の創設  
兵庫開港 


イギリスは武器密輸で長州藩を支援、
薩長同盟 成立。とがめようとして
第二次長州征伐に敗北した幕府は、
フランスの支援で近代的陸軍を 創設。
  徳川慶喜が兵庫を開港し国際公約を
実現。
 

第七章大政奉還の思想 
徳川慶喜の大政奉還論 幕府内部の政権返上論 西周のオランダ留学  
倒幕の密勅  小御所会議  ◆徳川慶喜の下坂 薩摩御用盗 
滝川具挙、討薩表を持参  滝川具挙隊の苦戦  幕府軍敗北決定


徳川慶喜はオランダ留学から戻った西周を
ブレ ーンにイギリス型議会制度を想定し
政権返上。
 幕府は倒幕勢力の挑発にのり
鳥羽伏見 戦で敗北。慶喜は内戦拡大を
避けるため 政権を捨てる。

 

補論 奥羽戊辰戦争 あらすじ
朝敵処分 奥羽鎮撫使参議世良修蔵 奥羽の止戦工作  奥羽列藩同盟 
会津藩激発  ◆白河城攻防戦 二本松落城 母成峠陥つ 白虎隊の死闘
苦戦の城下 会津落城 草むす屍  


鳥羽伏見戦争によって政権が交代し明治新政府が発足した。奥羽戊辰戦争という悲劇的な出来事が生じる。
この悲惨で哀しい歴史的事実を語り残しておきたい。