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■ 日本の夜明けは、明治維新でなく、徳川幕府が開国したことである
老中阿部正弘は日米和親条約を結んで開国に踏み切るとともに、人材発掘・幕府海軍創設・東京大学の前身である蕃書調所を創設する「安政の改革」を実行。ロシアのプチャーチンとの間で「北方四島は日本領土」と取り決め、日本近代化の扉を開いた。
大老井伊直弼は日米通商条約を調印したが、朝廷から勅許を得られず、暗殺された。 事態の収拾に当たった徳川慶喜が、朝廷から通商条約の勅許を得て「国内合意」を確立し、兵庫を開港して「対外公約」を果たし、「開国」を完成させた。
日本が独立を保って自力で近代化を成し遂げたのは、幕府が開国を実現したからである。
■ 清国の義和団事変が日露戦争を呼び込んだ
清国における無謀な攘夷排外運動である義和団事変が満州へ波及し、ロシアがフランスからの借金で建設中のシベリア鉄道を破壊し、ロシア軍人・鉄道員を惨殺した。
ロシアは、資産保全と居留民保護のため、十七万の大軍を派遣して満州を占領した。
ロシア軍の南下に危惧を抱いた日本は、戦死者8万8千人、戦傷者38万人という膨大な犠牲を払ってロシア軍を撃退。満州を清国のもとへ返した。
もし日本が日露戦争に負けたら、満州はロシアの領土となり、日本はロシアの植民地になるか、ロシアに併合されてロシアの一州になってしまったことだろう。
■ アメリカは日露戦争の七年前に日本征服の「オレンジ計画」を策定した
日露戦争の七年前、すなわちハワイ併合の前年に、セオドア・ルーズベルト海軍次官が、日本征服のため「オレンジ計画」を策定した。これはフィリピン、ハワイの次は、軍事的弱体国だった日本を征服して太平洋の覇権を確立することを目的としたものである。
しかし日本は、日露戦争に勝利するなど意外な強国になったうえ、その後、大正デモクラシ−を発展させて議会政治の道を歩み、親英米の外交路線を選択したので、アメリカは「オレンジ計画」発動の口実を得ることが出来なかった。
昭和期に入って日本が軍国化すると、対日開戦の口実を見つけた甥のフランクリン・ルーズベルト大統領が、四十四年後の昭和十六年に、「オレンジ計画」を発動した。
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