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秋元家  館林藩 立て釻木瓜        6万石
上野邑楽郡館林(群馬県館林市 )    譜代 城主
移封加減増履歴・慶長6年→上野惣社1万石・元和8年→1万5000石・寛永10年→甲斐谷村1万8000石・元禄7年→3万石・元禄13年→4万石・宝永元年→武蔵川越5万石・正徳元年→6万石・明和4年→出羽山形・弘化2年→上野館林
専売品&専売開始年・金物(天保元年、飛び地三木で計画するも失敗)
江戸城詰席・雁之間  子爵   上屋敷・呉服橋之内
参勤・参府12月、帰国翌年4月
人口・全領地総計7万5057人、家数1万5868軒                    明治2年現在
戦国時代は上野国惣社に領地を有し、深谷上杉氏に属した後に、豊臣秀吉から徳川家康に仕えている。
 
藩祖・長朝(ながとも)
秋元元景の長男(元景は深谷上杉氏の重臣、その後、秀吉、家康に仕える) 母は上杉憲政の養女(憲政は山内上杉氏の出で関東管領、長尾景虎=上杉謙信に管領職を譲った人)
生没・天文15年(1546)〜寛永5年(1628)
慶長6年(1601)上野惣社で1万石を領有す
従五位下越中守
元和8年(1622)隠居
正室・なし
子女・2代泰朝 女子→渋川義勝室(義勝は下野小俣城主、上杉氏から北条氏に仕える)

2代・泰朝(やすとも)
長朝長男 母は某氏
生没・天正8年(1580)〜寛永19年(1642)
家督・元和8年(1622)相続
従五位下但馬守
正室・大河内秀綱の娘(秀綱は松平信綱の祖父)
子女・3代富朝 忠朝(別家)

3代・富朝(とみとも)
泰朝長男 母は正室大河内秀綱の娘
生没・慶長19年(1614)〜明暦3年(1657)
家督・寛永19年(1642)相続
従五位下越中守
正室・丸岡藩有馬直純の娘
子女・女子→宇都宮藩戸田忠昌室
養女(2代泰朝の子忠朝の長女)→旗本上田重則室 養子喬知(4代)

4代・喬知(たかとも
宇都宮藩戸田忠昌の長男 母は富朝の娘
生没・慶安2年(1649)〜正徳4年(1714)
家督・明暦3年(1657)相続
元禄12年(1699)老中に進む
従四位下摂津守
正室・2代泰朝の子忠朝の次女

子女・女子→福知山藩朽木稙元室
女子三春藩秋田広季室
女子→宇都宮藩戸田忠昌養女 5代喬房
養女(秋元成朝の娘)→丸岡藩有馬一準と婚約するも病没

5代・喬房(たかふさ)
喬知次男 母は正室秋元忠朝の娘
生没・天和3年(1683)〜元文3年(1738)
家督・正徳4年(1714)相続
従五位下但馬守
正室・中津藩奥平昌章の娘
子女・養子喬求(6代) 女子→6代喬求室

6代・喬求(たかもと)
宇都宮藩戸田忠余の次男 母は某氏
生没・享保元年(1716)〜延享元年(1744)
家督・元文3年(1738)相続
従五位下越中守
寛保2年(1742)隠居
正室・喬房の娘
子女・養子凉朝(7代) 逵朝(凉朝養子)

7代・凉朝(すけとも)
一門の旗本秋元貞朝の三男 母は某氏 
生没・享保2年(1717)〜安永4年(1775)
家督・寛保2年(1742)相続
宝暦10年(1760)老中に進む
明和元年(1764)老中辞職
明和5年(1768)隠居
従四位下但馬守
正室・なし
子女・養子逵朝(病没) 養子永朝(8代)
養女(三春藩秋田延季の娘)→丸亀藩京極高中室
8代・永朝(つねとも)
旗本上田義当の四男(義当は3代富朝の養女の婚姻相手である旗本上田重則の孫) 母は広島藩家老上田重羽の娘(両上田家は縁戚関係にある)
生没・元文3年(1738)〜文化7年(1810)
家督・明和5年(1768)相続
従五位下但馬守
正室・彦根藩井伊直幸の娘
継室・笠間藩牧野貞長の娘
子女・修朝(病没) 女子→岡崎藩本多忠典室
女子→徳山藩毛利広鎮室 知朝(病没)
女子→刈谷藩土井利行と婚約するも、膳所藩本多康完室 9代久朝

9代・久朝(ひさとも)
永朝五男 母は継室牧野貞長の娘 
生没・寛政4年(1792)〜弘化4年(1847)
家督・文化7年(1810)相続
従五位下大膳亮
天保10年(1839)隠居
正室・広島藩浅野斉賢の娘
子女・養子志朝(10代)

10代・志朝(ゆきとも)
徳山藩毛利広鎮の八男 母は8代永朝の娘 
生没・文政3年(1820)〜明治9年(1876)
家督・天保10年(1839)相続
従五位下刑部大輔
山陵修復に努め、公武間を斡旋する
元治元年(1864)隠居
正室・米沢藩上杉斉定の娘
継室・岡崎藩本多忠考の娘
子女・養子礼朝(11代)
11代・礼朝(ひろとも)
掛川藩太田資始の五男 母は某氏 
生没・嘉永元年(1848)〜明治16年(1883)
家督・元治元年(1864)相続
戊辰戦争では藩兵を東北へ進め功を立て、賞典禄1万石を与えられる
従五位下但馬守
正室・宇都宮藩戸田忠温の娘