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青山家  篠山藩 青山銭          6万石   
丹波多紀郡篠山(兵庫県篠山市 )  譜代 城主
移封加減増履歴・慶長6年→1万8000石・慶長11年→常陸江戸崎2万8000石・慶長18年→3万5000石・元和6年→武蔵岩槻4万5000石・元和9年→上総大多喜2万石・慶安元年→信濃小諸3万石・寛文2年→大坂周辺で5万石・延宝6年→遠江浜松・元禄15年→丹波亀山・寛延元年→丹波篠山・文政10年→6万石
専売品&専売開始年・茶(文政7年) 立杭焼(天保頃)
江戸城詰席・雁之間 子爵 
上屋敷・鍛冶橋内(安永)→筋違御門内(文久・明治)
参勤・天明8年の例→7月17日篠山発→丹波亀山→山城樫原→東海道で江戸着8月9日
人口・全領地5万8723人、家数1万3616軒
                      明治2年現在
■三河松平氏に従い、忠成の時に徳川家康・秀忠に仕え、大名となって2万8000石を領有した。
 

藩祖・忠成(ただなり)
青山忠門の長男 母は卯野小兵衛の娘
生没・天文20年(1551)〜慶長18年(1613)
家康の小姓から秀忠の傳役(もりやく)、後に関東総奉行となる
慶長6年(1601)1万1000石の加増で合わせて1万8000石となり、
大名に列する
従五位下播磨守
正室・旗本天方通興の娘
子女・2代忠俊 幸成(別家美濃郡上藩藩祖)

2代・忠俊(ただとし)
忠成次男 母は天方通興の娘
生没・天正6年(1578)〜寛永20年(1643)
家督・慶長18年(1613)相続
元和2年(1616)将軍家光の傳役から老職(老中
)に進む
元和6年(1620)1万石を加増される
元和9年(1623)家光の勘気をこうむり2万石減封、後に蟄居除封

従五位下伯耆守

正室・大久保忠佐の娘(忠佐は忠隣の叔父で沼津藩主、後に無嗣除封)
子女・女子→臼杵藩稲葉一通室 3代宗俊

3代・宗俊(むねとし)
忠俊長男 母は大久保忠佐の娘
生没・慶長9年(1604)〜延宝7年(1679)
寛永9年(1632)父に連座するも赦免される
従五位下因幡守
正室・なし
子女・4代忠雄 忠重(忠雄養子、5代) 
忠貴(忠重養子) 女子→永井尚長室、後に離縁(尚長は宮津藩主だったが刃傷から刺殺され除封、子孫は名跡相続が許され櫛羅藩永井家として存続) 養女(臼杵藩稲葉一通の娘)

4代・忠雄(ただお
宗俊次男 母は石橋氏
生没・慶安4年(1651)〜貞享2年(1685)
家督・延宝7年(1679)相続
従五位下和泉守
正室・松代藩真田信政の

子女・養子忠重(5代)

5代・忠重(ただしげ)
宗俊三男 母は大河原氏
生没・承応3年(1654)〜享保7年(1722)
家督・貞享2年(1685)相続
従五位下因幡守
享保7年(1722)隠居
正室・郡上藩青山幸成の子幸通の娘
継室・郡上藩青山幸実の娘
子女・養子忠貴(宗俊の子) 
女子→伊予吉田藩伊達村豊室 
女子→綾部藩九鬼隆直室、後に鞠山藩酒井忠菊室 6代俊春

6代・俊春(としはる)
忠重四男 母は上田氏
生没・元禄13年(1700)〜享保15年(1730)
家督・享保7年(1722)相続
従五位下因幡守
正室・なし
子女・養子忠朝(7代)

7代・忠朝(ただとも)
郡上藩青山幸督の次男 母は角田氏 
生没・宝永5年(1708)〜宝暦10年(1760)
家督・享保15年(1730)相続
従五位下因幡守
正室・高田藩榊原政邦の娘
子女・養子忠高(8代)
8代・忠高(ただたか)
郡上藩青木幸秀の七男 母は浜村氏
生没・享保19年(1734)〜文化13年(1816)
家督・宝暦10年(1760)相続
従五位下左兵衛佐
天明元年(1781)隠居
正室・宇都宮藩戸田忠余の娘
子女・女子→岸和田藩岡部長備室 9代忠講
女子→長岡藩牧野忠精室 
忠裕(忠講養子、10代)

9代・忠講(ただつぐ)
忠高次男 母は鵜飼氏 
生没・明和2年(1765)〜天明5年(1785)
家督・天明元年(1781)相続
従四位下伯耆守
正室・なし
子女・養子忠裕(10代) 
女子→上山藩松平信行室

10代・忠裕(ただひろ)
8代忠高の三男 母は鵜飼氏 
生没・明和5年(1768)〜天保7年(1836)
家督・天明5年(1785)相続
文化元年(1804)老中に進む
天保6年(1835)隠居
従四位下侍従兼下野守
正室・古河藩土井利里の養女
子女・子女→平戸藩松浦曜室 
養女(郡上藩青山幸孝の娘)→岸和田藩岡部長慎室 養女(郡上藩青山幸孝の娘)→丹後田辺牧野節成室 11代忠良  
幸哉(郡上藩青山幸礼養子) 
資敬(高家日野資邦養子)
11代・忠良(ただなが)
忠裕四男 母は小川氏 
生没・文化4年(1807)〜元治元年(1864)
家督・天保6年(1835)相続
弘化元年(1844)老中に進む
嘉永元年(1848)老中を辞職
文久2年(1862)隠居
従四位下侍従兼下野守
正室・拳母藩内藤政峻の娘
子女・女子→掛川藩太田資功室
女子→広瀬藩松平直諒室 12代忠敏
正肥(犬山藩成瀬正住養子)
正誠(下妻藩井上正健養子)
増式(黒羽藩大関増昭養子)
女子→福知山藩朽木為綱室
女子→新庄藩戸沢正実室、後に離縁
女子→古河藩土井利与室
忠誠(12代忠敏養子)
12代・忠敏(ただゆき)
忠良長男 母は千葉氏 
生没・天保5年(1834)〜明治6年(1873)
家督・文久2年(1862)相続
従五位下左京大夫
正室・丹後田辺藩牧野節成の娘
子女・養子忠誠(11代忠良の10男、13代当主、正室は土浦藩土屋寅直の娘) 
女子→佐貫藩阿部正敬室