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牧野家 笠間藩 丸に三つ柏               8万石      
常陸茨城郡笠間(茨城県笠間市 )  譜代   城主
移封加減増履歴・延宝8年→常陸内で1万3000石・天和2年→常陸下総下野の内で3万3000石・天和3年→下総関宿5万3000石・元禄元年→7万3000石・宝永2年→三河吉田8万石・正徳2年→日向延岡・延享4年→常陸笠間
江戸城詰席・雁之間 子爵 上屋敷・日比谷御門内
参勤・参府6月、帰国6月
人口・城下町人数946人(天明8年)、城下在住士分502人(妻子は除く、弘化3年)、文政年間の武家屋敷360軒、町屋敷348軒
 
藩祖・成貞(なりさだ)
旗本牧野儀成の次男(儀成は長岡藩藩祖牧野康成の子)  母は旗本朝倉在重の娘 
生没・寛永11年(1634)〜正徳2年(1712)
万治3年(1660)徳川綱吉に近侍し、寛文10年(1670)館林藩家老、延宝8年(1680)綱吉将軍就任にともない側衆、側用人となり1万3000石を領し、大名に列する
従四位下侍従兼備後守

元禄8年(1695)隠居
正室・家臣大戸吉勝の娘
子女・貞通(3代成央養子、4代) 
養女(小谷権兵衛の娘、権兵衛は将軍綱吉の側室お伝の方の父)→大垣新田藩戸田氏成室、後に離縁
養女→本荘藩六郷政晴室 養子成春(2代)

2代・成春(なりはる
家臣大戸吉房の子 母は家臣大戸吉勝の娘
生没・天和2年(1682)〜宝永4年(1707)
家督・元禄8年(1695)相続
従四位下備前守
正室・忍藩松平忠弘の長男清照の娘
子女・3代成央 成福(病没)

3代・成央(なりなか)
成春長男 母は正室松平清照の娘
没・元禄12年(1699)〜享保4年(1719)
家督・宝永4年(1707)相続
従五位下備後守
正室・壬生藩鳥居忠英の娘
子女・養子貞通(4代)

4代・貞通(さだみち
成貞三男 母は藤田氏
生没・宝永4年(1775)〜寛延2年(1749)
家督・享保4年(1719)相続
寺社奉行、京都所司代を歴任
従四位下侍従兼備後守
正室・平戸藩松浦篤信の娘
子女・忠敬(長岡藩牧野忠周養子) 5代貞長
忠利(長岡藩牧野忠敬養子) 忠寛(長岡藩牧野忠利養子) 女子→中津藩奥平昌敦室
女子→明石藩松平直純室
女子→岡崎藩本多忠敝室
女子→平戸新田藩松浦致室
女子→臼杵藩稲葉泰通室
女子→小諸藩牧野康満室
女子→長岡藩牧野忠寛養女

5代・貞長(さだなが)
貞通三男 
母は佐藤氏 
生没・享保16年(1731)〜寛政8年(1796)
家督・寛延2年(1749)相続
天明4年(1784)老中に進む
寛政2年(1790)老中辞任
寛政4年(1792)隠居
従四位下侍従兼備後守
正室・西尾藩松平乗佑の娘

子女・6代貞喜 忠善(横須賀藩西尾忠移養子)
女子→臼杵藩稲葉弘通室
女子→岡崎藩本多忠粛室、後に館林藩秋元永朝室 女子→鯖江藩間部詮熙室
養女(吹上藩有馬氏保の娘)→生実藩森川俊孝養女

代・貞喜(さだよし)
貞長長男 母は正室松平乗佑の娘 
生没・宝暦8年(1758)〜文政5年(1822)
家督・寛政4年(1792)相続
中興の祖といわれる、和歌俳諧も好んだ名君
従五位下越中守
文化14年(1817)隠居
正室・宇和島藩伊達村候の娘
子女・7代貞幹

7代・貞幹(さだもと)
貞喜次男 母は間宮氏 
生没・天明7年(1787)〜文政11年(1828)
家督・文化14年(1817)相続
従五位下越中守
正室・信濃松本藩戸田光行の娘
継室・鳥取藩池田斉稷養女(鳥取藩池田治道の娘)
子女・8代貞一 康哉(小諸藩牧野康命養子)
貞勝(貞一養子、9代) 女子→赤穂藩忠徳室
女子新見藩長道室

8代・貞一(さだかず)
貞幹長男 母は継室池田治道の娘
生没・文化12年(1815)〜天保11年(1840)
家督・文政11年(1828)相続
従五位下越中守
正室・久留米藩有馬頼徳の娘
子女・貞久(貞勝養子、10代) 養子貞勝(9代)

9代・貞勝(さだのり)
7代貞幹の五男 母は某氏
生没・文政7年(1824)〜天保12年(1841)
家督・天保11年(1840)相続
正室・なし
子女・女子→貞久養女 養子貞久(10代)

10代・貞久(さだひさ
8代貞一の長男 母は野村氏
生没・天保6年(1835)〜嘉永4年(1851)
家督・天保12年(1841)相続
従五位下越中守
正室・なし
子女・養子貞直(11代) 
養女(貞勝の娘)→11代貞直室

11代・貞直(さだなお)
布施重正の次男 母は松原氏 
生没・天保元年(1830)〜明治20年(1887)
家督・嘉永4年(1851)相続
寺社奉行、大坂城代を歴任
戊辰戦争では出兵し、明治2年賞典金5000両を下賜される
従四位下越中守
明治元年(1868)隠居 
正室・貞久の養女
子女・貞寧