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特集 探偵小説のアジア体験

『新青年』の国際性とアジア

『朱夏』編集部

記事の全文を掲載しています。

 まずは〈探偵小説〉という言葉の説明からはじめよう。この言葉は明治時代にDetective storyの訳語として生み出されたが、戦前の日本では推理小説だけではなく、犯罪小説、怪奇幻想小説、冒険小説など隣接するジャンルを包括する語として使われていた。戦後になると推理面を重視しはじめたために〈推理小説〉という言葉が一般的になったが、かつては〈探偵小説〉と呼ぶのが当たり前であった。
 今回の特集で〈推理小説〉や〈ミステリ〉を用いず、あえて〈探偵小説〉の語を使っているのは、ノスタルジアからではなく、その名でくくられていた幅広い作品群をまとめて扱う意図からである。文学史的に説明するなら、リアリズムを重視した当時の純文学とは違う非リアリズム系の小説が〈探偵小説〉の名の下に発表されていたのであり、それらに注目したいのである。

 さて、戦前の〈探偵小説〉の発表媒体として一番大きかった雑誌が、博文館から刊行されていた『新青年』であった。その華々しい業績のため、今日『新青年』といえば探偵小説というイメージが強いが、それ専門の雑誌というわけではなく、かなりの変遷を経ている。
 ここで、『新青年』の歴史を便宜的に区分けしてみたい。

(一)青年訓導・移民奨励期
(二)探偵小説誌期
(三)モダン雑誌期
(四)戦時期
(五)戦後期

 『新青年』は、青年へ海外雄飛を勧める雑誌として生まれた。これが第一期である。第二期は、海外の探偵小説を積極的に掲載し、江戸川乱歩ら日本の探偵作家が登場した頃。第三期は、横溝正史編集長がモダンな味を取り入れ、あとを継いだ水谷準編集長がそれを推し進めるような形で都市生活者をターゲットとした雑誌にした頃。第四期は、日中戦争開始後から次第に国策に沿った誌面づくりを始めた頃。そして、第五期は敗戦後誌面を立て直そうとして、うまくいかずに休刊となるまでである。
 右の区分けを見ていただければわかるように、『新青年』は幾度も模様替えを繰り返した雑誌であった。もっとも、共通点が無いわけではない。その一つが探偵小説で、創刊号から休刊まで、分量や内容はともかく掲載されてきた。そして、もう一つの共通点は国際性で、それぞれ形は違うが常に海外へ目を向けていたのである。
 第一期の頃の『新青年』が説いていたのは海外雄飛であり、当初は南北アメリカ大陸への移住が奨励されていた。雑誌の記事も、海外での冒険心をあおるようなものが載せられていたのである。
 第二期は、翻訳探偵小説を通じての海外文化受容である。探偵小説輸入時、黒岩涙香の翻案物がそうであったように舞台を平然と日本に置き換えることが行われていたが、それは当時の日本人が海外文化を知らないための処置であった。だが、この頃の読者は、海外の舞台を違和感無く受け入れることのできる世代であった。逆に言うと、探偵小説により海外の文化を吸収したのであった。
 第三期は、都市文化を中心とした海外文化受容である。この頃は、読み物としてはコントなどが人気を博し、スポーツ・ファッション・映画などモダンな記事が誌上を賑わせた。『新青年』が今日の都市型雑誌の原点と目される理由はここにある。
 第四期は、戦争という形での対外(国際)意識の高まりである。この頃になると、都市型雑誌としての記事は激減し、かわりに戦争関係の記事が掲載されるようになる。探偵小説にしても国際関係を題材にしたスパイ小説が流行した。作家たちも徴用作家として戦地に自ら赴き、その体験を元にした文章を執筆していった。
 第五期は敗戦の頃で、国際性はさほど高くない。海外からの復員など時代状況を取り入れた小説が発表されていたが、それは外部を失い日本本土へ回帰する当時の情勢を反映していた。海外の動向を取り入れられなかったからというわけでもないが、復活した『新青年』は自由な誌面づくりができるようになったのに企画がふるわず、やがて休刊を迎えることになる。
 以上のように、『新青年』は海外の動向に敏感な雑誌であった。ただし、主な対象は欧米で、翻訳探偵小説、ファッション、映画などではそれが如実である。それでは、別方向の海外、すなわちアジアとの関わりはどうであろうか。

 日本のアジア関係史と『新青年』の歴史を並べると、日本による植民地統治期と重なる。『新青年』の創刊号は一九二〇〔大正九〕年に出たが、日本の台湾統治、韓国併合、満洲進出が落ち着きを見せた頃であった。それらの土地は、書き手、読み手ともに日本の植民地として認識されていた。探偵小説だと、日本のオリジナル小説が誕生、成長を見せた第二期と第三期に、いわゆる〈外地〉に関する小説が登場する。植民地を舞台にしたものはもちろん、日本が舞台ではあるが植民地の影が忍び込んでいるものも多かった。朝鮮の京城(現・ソウル)在住の人間だとか、日本で罪を犯して満洲に逃げていた人間だとかが作中に現れるのである。
 それでは旧植民地を舞台にした探偵小説がどのような人物によって書かれたかというと、多くが〈内地〉在住の人間であった。一度も行ったことがないのに資料をもとに作り上げたり、旅行や短期間の滞在の経験をもとに書き上げたりしていたのである。その代表は、訪れたことのない満洲を舞台にした「氷の涯」や、旅行だけはしたことのある朝鮮を舞台にした「爆弾太平記」を書いた夢野久作(ゆめの・きゅうさく)であろうか。
 一方で、大庭武年(おおば・たけとし)のように植民地に住みつつそこを舞台にした小説を書いた探偵小説作家もいたが、数としては少なかった。戦前の植民地在住の作家より、植民地体験を持ち越し、敗戦後の日本で活躍をはじめた作家たちのほうが重要かもしれない。鮎川哲也(あゆかわ・てつや)は在満時に満洲を舞台にした「ペトロフ事件」の原型を書き上げるが、当時は発表できず、戦争の混乱で失われたその原稿を戦後書き直すことでようやく世に出した。他にも島田一男(しまだ・かずお)など満洲体験をもつ作家は意外に多い。
 探偵小説の戦後派作家のことはさておき、第二期・第三期が〈内地〉〈外地〉それぞれの作家によって書かれたとすれば、第四期は〈内地〉作家が徴用作家としてアジア地区に赴き執筆した時代であった。海野十三(うんの・じゅうざ)が海軍系列の「くろがね会」に関わっていたため、小栗虫太郎(おぐり・むしたろう)ら多くの探偵作家が海軍の報道班として戦地や植民地に行くことになった。このほかに陸軍報道班として蒙古に赴いた渡辺啓助(わたなべ・けいすけ)がいる。これらの作家が第四期の頃に残した仕事をどう評価するかは難しい。表面的には国策に沿った文学であるように見えるからだ。いずれにしても、作家たちが実際に戦場や植民地を訪ね、アジア地区をどのように受けとめたかは興味深い。そして敗戦後、「海峡天地会」を「海象に舌なきや」として書き直した虫太郎や、新作を書いた久生十蘭(ひさお・じゅうらん)のように、当地に赴いた体験を戦後になっても活かした人はいたのである。
 第五期になると、引き揚げ者が登場する探偵小説が現れる。『新青年』発表作だと、フィリピンから復員した男が軍人時代に上司の命令で殺した現地人の霊に悩まされ自殺するという火野葦平(ひの・あしへい)の「亡霊の言葉」のような小説がある。そういった意味での、この時期の代表的新青年作家は、戦争末期に満映で働いていてソ連軍の満洲侵攻に直面した橘外男(たちばな・そとお)であろう。引き揚げまでに辛酸をなめた橘は、発表誌こそ『新青年』ではないが、混乱時の満洲での人間模様を描いたドキュメンタリー・タッチの小説を発表するのである。

 戦前の探偵小説に国際小説が少なくないのは、発表誌の『新青年』が海外動向に敏感であったこと、作家たちに海外経験があったこと、そしてなにより非リアリズム系作家たちの奔放な想像力が国内におさまらず外部へと向かったためであった。もっとも彼らが本当に海外をうまく描けたかどうかは別問題である。近年、戦前の純文学が海外、特にアジア地区をどのようにとらえたかが検証されているが、探偵小説という国際性の高かった小説分野でもそれがなされるべきであろう。かくして、今回の特集が組まれた。探偵小説作家たちの想像力と創造力がアジアという海外とぶつかった際に何が生み出されたのか。読者という〈探偵〉による捜査は、いま始まったばかりである。


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