天然理心流剣究会
天然理心流の流名は「天に象り地に法り、以て剣理を究める」ことからといわれ、剣の理を追究し、究めたいとの思いから「剣究会」としました。
新選組局長近藤勇らが遣った天然理心流は、初代近藤内蔵之助長裕→二代近藤三助方昌→三代近藤周助邦武→四代近藤勇昌宣→五代近藤勇五郎信休→六代桜井金八義祐→七代近藤新吉正行→八代加藤伊助修勇→九代宮川清蔵へと継承され、勇五郎先生以降は撥雲館で稽古が行われてきました。戦後、加藤先生の時代は三鷹市の三鷹武道館で稽古を行ってきました。撥雲館道場内に入り、加藤先生の指導を受けたのは私が最後になります。
天然理心流は古武道としては新しいものですが、幕末から明治にかけての混乱などから現在いくつかの系統があるようです。天然理心流剣究会は近藤道場撥雲館の流れを継承しており、これは新選組として京都で名を馳せた近藤勇の試衛館の系統です。私自身がまだまだ天然理心流を究められておらず、現在も新選組関係の御子孫などのご協力を得て近藤勇らが稽古をしていた当時の天然理心流の形を復元しようと努力しています。当然、直接の先生である加藤伊助先生から指導された形も継承しつつ、他の系統の形とは一線を画し純粋に近藤系の天然理心流を追求していきたいと考えています。
<撥雲館道場>
加えて、天然理心流に限らずどの流派にもこだわらない剣術の極々基本、刀の抜き差しや扱い方、素振りや体捌きなどを武道経験のない方にも指導する場所を作っていきたいとも考えています。まだまだ構想の段階ですが、具体的になったら改めて公表したいと考えています。
詳細は<稽古>のページをご覧ください。
歴史的に大きな出来事ではないけれどもちょっとしたお話を、新選組隊士関係者御子孫や理心流関係者にお聞きしたり、文章を寄せて頂き<理心流資料箱>として掲載していこうと思います。
<理心流資料箱>
<撥雲館道場> <稽古> <理心流資料箱> <思い付くまま> <リンク>
撥雲館道場について
撥雲館道場では戦前から今で言う防具を着けての剣道の稽古が行われていましたが、近藤勇五郎先生より直接指導を受けていた八代目の加藤先生によれば、当時の稽古は「撃剣」といわれるように現在の剣道より激しく、竹刀を捨てての組み打ちになることが多かったようです。組み打ちになったときに有利なように小手の紐は緩めにしておき、直ぐに外せるようにしていたとのことです。逆に胴の後ろの紐が緩いと組み打ちで倒されたときに胴の下を持ち上げられ首を絞められるので、この紐はしっかりと縛っていたと聞いています。
このような撃剣の稽古が主に農閑期の3、5、8、10の日に行われ、ある程度の腕になった者に個人的に理心流の形などを教えたそうです。理心流の形を教える場合も現在のように衆目の前で手取り足取り教えるのではなく、一人囲炉裏の前に呼ばれ灰に火箸でかかれた人型を示し口伝により伝授する方法がとられたそうです。一度説明されるとその灰はきれいにならされてしまうため覚えるしかなかったと聞きました。また加藤先生は昭和3年、18歳で目録免許を受けられ「18歳で目録免許を受けたのは近藤勇以来だ」と話されていました。
勇五郎先生から「俺が死んでも線香はいらない、竹刀の音だけは絶やすな」と言われていた加藤先生は、戦後の一時期柔道、剣道などの武道が禁止された時期もありましたが、武道教育復活後、剣道の指導を再開しました。しばらくは剣道の指導のみでしたが、その後天然理心流の復活に取り組み、平成の天然理心流の基礎となりました。加藤先生が天然理心流の指導を再開した当初は、独特な太い木刀を用いた表木刀がメインだったので手の内のしっかり出来た剣道三段以上の者にしか教えていませんでした。

近藤新吉先生の葬儀(丸印が加藤先生)
(撥雲館道場内)
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