アモイから高速道路でZhang州(Zhangはさんずい扁に章)を経由して一般道を南靖・南坑・船場と経て約2時間でめざす『書洋郷』に到着です。
書洋から梅林方面へ約10分で、方楼として最高の高さ(5階建て)を誇る『和貴楼』です。
*9時アモイ発、11時書洋着
《土楼−Part2−初心者向けアモイから日帰りコース》
(2004年4月)
既に《壱》で紹介していますが、2002年5月に福建省に土楼を求めて旅をしました。このときは、たまたまアモイに滞在中に得た情報で行き当たりばったりでしたが、帰国後に調べたところ、旅行人刊岡田健太郎著『旅行人ウルトラガイド・客家円楼』という本があることを見つけました。
今回は滞在日数に制限があったことから、本書を参考に『アモイから日帰りで客家土楼に出会えるを最も効率的で容易なコース』を組み立て実行してきました。
《コースの条件》
1.アモイから車をチャーターして9時間程度の日帰り
2.円楼/方楼の双方を巡る
3.保存状況がよく、規模は中以上
この条件で検討した結果、福建省南靖県書洋郷としました。
田螺坑の土楼群からひとつ谷を越えた下板村に『裕昌楼』という円楼があります。この円楼はこの地域最古で最高の高さ(5階建)であるということに加え、最大15度傾いているということで有名だそうです。
このコースは、『多少お金がかかってもよい、ともかく土楼に出会ってみたい』という旅行者にとっては最もお奨めできるルートと確信します。
費用は、車チャーターが1000元程度、その他はせいぜい200〜300元もあれば十分でしょう。
(注:岡田氏の本には『和貴楼』は紹介されていません。しかし、大いに参考になりました)
『和貴楼』の内観です。
5層(5階建)になっているのがよく見えます。
客家の起源に関しては諸説ありますが、元来、中原地域(現在の河南省のあたり)に住んでいた漢族が北方民族に追われて、現在の福建省・広東省・広西省の山中に移動した、というのが通説のようです。
また、先住民や山賊等から身を守るため集合住居を築き集団生活を営んだことから、この地域に巨大な土楼建造物が残されたとのことです。
落人生活ですから、子弟の教育も土楼内で行われたとのこと。
(上の写真の真ん中の屋根だけが見えている建物が学校です。)
英語併記の『和貴楼』の解説板もあります。
また、最近の流れでしょうか、内部の見学には入場料を徴収されます。(その方が逆に観光客としては遠慮無く見学できます。)
『和貴楼』を見学してのち一旦、書洋へ戻り昼食としました。
いかにも田舎風の小さな食堂で昼食をとりました。裏には川が流れており、川越しに小さな土蔵を転用したと思われる『書洋大衆旅社』と書かれた宿泊施設が望めました。(『書』と『衆』は簡体字)
昼食後に書洋を午後1時頃出発して次の目的地の田螺坑村へ向かいました。
書洋から10km余り山道を進むと突然展望が開けかけます。期待に胸が高鳴り始めますが、何と展望のできる場所に眼下を望む展望施設が出来ており有料です。不満ながら25元の券を購入して展望台に入ると・・・
突然に、余りにも突然に土楼群の出現です。
方楼を中心に4つの円楼が花びらののごとく配置され、段々畑とのコントラストと相まって素晴らしいシーンです。土楼を紹介する映像に必ずといっても取り上げられる場所とアングルということです。25元の入場券に対する不満はすっかりどこかへ飛んでいってしまっていました。
方楼と4つの円楼をゆっくり巡りました。
昔のままの人々の生活が息づいています。(乾燥筍作りのようです)
田螺坑の土楼群を下から見上げた画像です。中央の右上に小さく写っているのが展望台です。下からだと何の変哲もない情景です。
ご覧の通り、柱が傾いています。
冒頭紹介した岡田氏の本には『かなり老朽化が進み、あちこちで柱に歪みが生じており、かなり危険な状態にある』と記載されていますが、案内を快く引き受けてくれた居住者による説明とは大きく違っています。
その説明によれば、『建築中の木組みを作った大工の技量が劣り、左官が壁を塗る段階で既に歪みが生じてしまっていた。急いで大工を追ったが既に逃げ去った後で、仕方なく柱が傾斜したまま塗り固めた』とのこと。その証拠として、傾斜している階の建具は柱にくさび状にあて板を当てがい、隙間を塞いでいるが、そのあて板が土楼と同じ古さの木材である、という。
一階の各戸に井戸があるのも土楼としては珍しいそうです。
ここへの入場は田螺坑土楼群と共通ということで別途の料金は不要でした。ますます25元がリーズナブルに思われました。
昼食後に書洋を午後1時頃出発し、田螺坑から下坂の裕昌楼を見終えてアモイへと帰路についたのが午後3時頃でした。多少の夕方の交通混雑もあり、アモイ市内のホテルへ戻ったのが午後5時半でした。
(2004年4月13日訪問)