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皆さん経験があると思いますが、こうすれば良くなるという類の話がよくあります。 たまに本物もあるかもしれませんが、たいていは偽物です。
私の場合、退院して間も無い頃、駅の階段を転ばないように慎重に降りて、プラット フォームに立ってほっとしていた時、中年のご婦人に声をかけられました。
「どうされたのですか?」
「半年前、脳梗塞になって右半身が不自由になりました」
「大変でしたね。歩くのも大変そうですね。私の父も10年前脳梗塞で右片麻痺になって、 リハビリ病院、温泉病院、温熱療法とかいろいろ試しましたが、思うような改善はみられませんでした。
数年前、中国の気孔の先生に巡り合って、治療を受け始めてから急速な改善が現われ、今は習字 が書けるようになりました」
「すばらしいですね。お父様はおいくつになられますか?」
「70歳です。先生は神奈川県の厚木の方におられ、ここ(吉祥寺)から通うのはちょっと大変 ですね。費用もけっこうかかりますしね」
それから1ヶ月後、妻と吉祥寺で買物をしていた時、偶然にまたそのご婦人にばったり出会いました。 ご婦人は私を覚えていないのか、先日と同じ話をはじめました。
今度は妻が「習字は手首を動かさないようにするから、出来るようになるかもしれませんね」 と言ったところ、彼女は去って行ってしまいました。
「あれはちょっと言い過ぎだよ。気分を害したのではないかな。親切に教えてくれたのに・・・」 と私が言うと、妻は「ああいう風に断った方がいいのよ。話を聴く素振りを見せない事よ」と
すましています。
私としては「少し話を聞いて見たい」という未練が残りました。
障害者は何でもいいから、評判になっていることは試したいという気持ちが強いため、つい眉つば と思えても、やってみないと効果は判らないと考え易いのです。
(2) あるリハビリの本との出会い
その本は「動きづくりのリハビリテーション・マニュアル」中央法規出版発行 (上下編あり各2500円)という。
「リハビリテーション技術研究会」が機能的障害の克服や軽減、あるいは代替機能の発達を援助することを 目的に、1990年頃筑波大学から場所の提供を受けてスタートした。訓練は筑波大学附属桐ヶ丘養護学校の児童・生徒と教師団、
東京学芸大学や筑波大学の学生達によって続けられている。
この本は児童期の運動障害だけでなく、交通事故、成人期の脳血管障害の後遺症、また高齢や知的障害を伴う 機能障害など、多くの脳の障害に適応できる内容になっている。
本は三部構成になっており、第一章で訓練プログラムを作成する為の資料編。「正常な動きと異常な動き」 「異常緊張・拘縮の見つけ方」の項目を参照して、まず対象者の実態を把握する。
第二章では、具体的なリハビリの方法を三分類して載せている。無理な訓練は症状の悪化を招くこともあるので、 各メニューの注意点をしっかりふまえることが大事。
第三章には、日常生活に必要な動作を特に抽出している。このように障害の内容・程度に合わせて独自の プログラムを作り、実践していくことが出来るようになっている。訓練の心得や個別内容については 「○ リハビリ」をご覧いただきたい。
異常な動きを消去して、正常な動きを引出すためには、次の三つが考えられる。
@ 変形と拘縮・異常な筋・腱の不当な緊張を他動伸展で除去
A 拘縮、あるいは過緊張のある筋の拮抗筋(曲がっている部位は伸ばすための筋、内転している部位は 外に向く筋等)の筋力強化と抗重力筋(体を支える筋力)の強化
B 人間の動きを統合する脳からの命令伝達回路の発達を促すことの三点である。
最も意を強くした言葉がこれである。「脳細胞の場合、再生活用するのは不可能である。但し、 残存している脳細胞をできるだけ活用することによって、ある程度正しい動きに近づけることは可能であると考え
られる」
私たちの身体器官の機能は常に極限の状況において働いているのではなく、ある程度余裕を残して動いている もので、それは脳内の機能についても例外ではない。動かそうとする機能を、残された健常な部分がカバーして、
ある程度補うことができる。
脳梗塞の場合、脳からの神経伝達路が完成された後の損傷により運動障害が起きるが、残存している脳細胞 をそのまま活用することが可能である。
障害があると、筋を正しく収縮させて動こうとするのではなく、動かし易い筋だけを使って動こうとする。 また、動こうとするとき、筋の力を抜くことが困難なため、屈筋と伸筋の同時収縮といって、曲げる力と伸ばす力
が一緒に入ってしまうことがある。
通常は関節を曲げると、曲げるほうの筋が収縮し、反対の筋が弛緩するはずであり、この動きは相反性神経支配 といわれている。この働きがうまくいかないことが、正しい動作の獲得を妨げている。
この本に出会ったのは、発症から2年程経過した頃で、それまでのリハビリのやり方に行き詰まりというか、 もっと自分に合った方法がないものかと捜している時であった。
これは、私にとって最大のターニング・ポイント(転機)となり、今の改善が始まった。
(3)学習効果
今年(平成13年)に入ってから、駅の自動改札を通る際、定期券を定期券入れから取り出し、機械を通し またもとに戻すという一連の動作を、右手(麻痺側)を使ってスムースに出来るようになった。定期券の角度
を微妙に調整して、狙い通りに挿入口にもっていけるようになった。
これまでも右手で通れないこともなかったが、定期券を機械に差し込む時、狙いが外れて何度もやり直して もたつくため、後ろがつかえていたりすると、つい左手(健常側)を使っていた。
これは、手先の微妙で、細かい作業の学習効果で、手がその動きを覚えてきた結果だろう。使わなければ、いつまでも 出来ないままでいたと思う。
本来病気するまでは出来ていたことが、脳がダメージを受けたことで出来なくなり、いま再び一から学習している。 既に手の細かい動きの指令を出す脳の部位は壊死しているのだから、別の部位から指令が出ていることになる。
但し指令がまだ不完全で、試行錯誤しながら学習している最中ということだろう。
こうして、新たなネットワークが構築されはじめた。完成までには、どの位の歳月が掛かるのか。 赤ん坊が大人になる年月ほどは掛からないとは思うが・・・・。
(4) 病院からの自立へ
発症から病院でのリハビリ終了まで10ヶ月経過していた。今後は月一回薬をもらうために病院へ行けばいい。手足に麻痺を持っての一人立ちは、私にとっては未知の世界だ。社会に戻って、本当にやっていけるだろうかという不安はあった。しかし、いつまでも病院に頼って、ずるずると続けている訳にはいかない。前進あるのみだ。
入院中(2.5ヶ月)は、医者・理学療法士・作業療法士たちによって作成されたメニューを消化するのに汲々としていた。午前中、言語療法と作業療法、午後理学療法を行っていた。理学療法は随分成果を挙げた。
悪戦苦闘しながらも、2ヶ月経った頃はじめて院内から外へ出た。日頃、病院の窓から見ていた歩道橋を上って、橋の中央まで行って下を行交う車を眺めたとき、ついにここまできたかとの感慨に襲われた。その後、バスの乗降練習や、駅の階段・エスカレーターを使って地下鉄での移動など、社会復帰にむけての訓練を続けた。
この頃には、週末はリハビリもないので、一時帰宅をするようになっていた。門からの階段に手すりをつけ、玄関の上り口に椅子を置き、手すりをつけ、二階への階段は両側に手すりをつけ、風呂場にも、トイレにもと家の中のバリアーもどんどん解消されて、受け入れ体制が整ってくると、早く退院したいという気持ちが強まっていった。
私担当の看護婦は、「えっ、もう退院するんですか? ちょっと早いんじゃないですか?」と心配したが、私が「大丈夫だよ。先生とも、婦長さんとも相談して決めたから。」と答えたので、彼女は安心したように「おめでとう御座います。できるだけ何でも自分でやるように努めて下さい」と退院してからの心構えを教えてくれた。「もう戻って来ないからね」と毒づきながらも、内心は感謝の気持ちで一杯だった。
まだ、本当に社会復帰できるのは何時になるのか、全く見透しが立たず、依然として視界不良は続きそうだ。
(5) 自己リハビリ開始
倒れたのが7月、既に10月になっていたが、予想より早い退院であった。退院したことを報告に会社へ挨拶に行った。まだ一人では行動できず、妻の付添いが必要であった。
入院した直後室長が見舞いに来られ、続けて二人の部長が見舞いに来られて、私の状態を見てこれは復帰には時間がかかると感じたようだ。「仕事のことは忘れて、じっくり回復に専念するように」と皆同じ言葉を残して会社へ戻っていった。
私の所属していた室は、その役割を終えたので10月1日付けで無くなっていて、室長は外部へ出向していた。仲間もばらばらになって、それぞれ新しい部署で頑張っていた。私も予定では海外勤務になっているはずだった。
これからのことを部長と相談した結果、期限は区切らず当面リハビリに専念することになった。実態は、退院はしたが、以前のように身体を動かすことができないし、頭も回転しないから、とても復職する状態にはなっていなかった。
利き手が麻痺していて使えないのは致命的だ。一人に一台パソコンがあるから字を書かなくても仕事は出来るとは言え、電話をうけた時メモもとれないのでは仕事にならない。とにかく利き手変換が復職する上での必須条件だ。
もう一つショックだった事がある。相手の顔は判るが、どうしても名前が出てこない。認識は出来るが、言葉で表現できないのだ。また、名前を聞いても、5分も経つと記憶が残っていない。言語療法では許容範囲内とされ然程問題視されなっかったが、かなり激しい。勿論老化現象は誰にでも訪れるものだが、物忘れでは片付けられないひどさである。
とにかく、常に新しい情報は反復して、短期記憶のまま消えることないように努め、脳を活発に働かして活性化を図っていくしかなさそうだ。私の場合、海馬も大脳皮質の記憶中枢も直接ダメージを受けたわけではなく、多少余波を受けた程度なので、使っていくうちにネットワークが繋がって、記憶力も回復していくのではないかと思っている。
期限は区切られなっかたが、私自身は半年を目処に自己リハビリに努め、復職しようと心に決めた。
そして、作業療法の通院が始まった。電車の乗降、駅の階段の昇り降り、起伏の多い道を歩く等通院することそのものがリハビリになる。病院では、拘縮をとること、伸筋(拮抗筋)の強化、そして利き手変換を中心にリハビリのメニュ−が作業療法士によって作られた。
(6) 自転車に乗れた
今年(平成13年)の7月で発病から丸4年になるが、遂に自転車、補助なしの二輪車に乗れた。30分ほどの間、一度も転ばなかった。これは画期的な出来事だ。
家の近くの市営グラウンドとプールの間に駐輪場があるが、車両進入禁止なので、仮に転んでも車に轢かれる恐れるはないので、そこまで自転車を押していって、練習をした。
1年前にも試みたが、右の手足(麻痺側)が重くなって、固まってきて右に傾くと立て直せなくて、何度も転んだ苦い思い出がある。とっさに右足を踏ん張って倒れるのを防ぐことが出来ず、ペダルから右足が離れないで横にバタッと倒れてしまう。
それから1年。右手・右足の可動範囲がかなり広がったので、転ばない自信はあったが、不安もあった。
自転車に跨って、右足を踏み込もうとした時、右にバランスが傾いたが、左右両方のブレーキをかけながら、右足で踏ん張るとが出来た。これでやれるかもしれないという気持ちになった。
それで今度は思い切ってペダルを漕いだら、スムースに進みだした。左右への方向変更も問題なくできた。問題は止まることだ。ブレーキをかけながら減速して、左に重心を掛けながら、左足で踏ん張って止まった。
これからは、右にバランスが傾かないように注意しながら、色々な状況に対応出来るようすることだ。走っているうちに、脳の記憶が蘇えってきて、自然に体が反応するようになった。とくに両手のバランスが良くなっているのが感じられる。
この1年に自転車に乗るためにしたこと。
今後さらに筋力強化をつづけ、左右どちらの足でも止まれるようにして、一般道でも乗れるようにしたい。
(7) 腰 痛
腰痛が再発した。椎間板ヘルニアというやつで、年をとって筋肉が弱くなったり、また激しい運動などを続けると、背骨の関節にズレが生じて、そこに神経が当たると耐えがたい痛みを伴なうのだが、私の場合脳梗塞になってからはすっかり治まっていた。
腰椎椎間板ヘルニア : 急性または慢性の力が腰の骨にかかると、腰椎と腰椎の間の椎間板の中心にある髄核が周囲の線維輪を膨隆させたり、そのすきまからとび出して、腰髄の神経根を圧迫して、腰痛や坐骨神経痛をおこします。(家庭医学大辞典より)
椎間板ヘルニアとはもう20年来の付き合いで、車の運転で長時間同じ姿勢を続けていたり、ゴルフのしすぎで腰に疲労が蓄積すると痛みがひどくなる。
立ち上がろうとする時、前かがみになろうとする時、階段の昇り降りの時、ひどい時は横になった姿勢から起き上がる事も出来なくなる。経験者にはこの辛さがよく判ると思いますが、腰に負担のかかることはすべてダメ。例えば、ベッドは柔らかいものより硬いもの、体をしっかり支えるという意味から戸板・雨戸の上に寝るのが一番と聞いています。重いものも持てない。
治療法は、手術して関節のズレを元に戻すこと。でも完治させることは難しく、何年後に再発するケースが多い。
次善の対処法は、けん引すること。座った姿勢で首を吊ったり、横になった姿勢で腰に錘をぶら下げて、関節を伸ばす治療だ。錘の重さは、その人の体重に合わせて決められており、傍目には拷問を受けているように見えるが、当人は実に気持ちがいい。
ただ、この方法は完全に元を断つものではないので、けん引している時だけ一時的に良くなった気分がするだけ。しかも、毎日病院へ通わなくてはならないのはかなり辛い。
当面の痛みを和らげるには、湿布が手軽で一番いい。医師の処方した湿布薬を使うのがいいが、市販されているものでも使用法を間違えなければ結構効果がでる。炎症を起こしている時は、冷やす必要があるので冷湿布、そうでない時は温湿布をする。腰痛は基本的には温湿布。
私の場合、脳梗塞になってから激しい運動は出来ないのに、なぜ腰痛が再発したのか考えてみた。
まづ考えられるのが、健側の左足に負担が掛かりすぎて、左右がアンバランスになってしまい、左腰にウェイトが掛かった状態になっている。
普段外出する時は杖を補助具として使っており、これに大きな負担が掛かっているが、ここ1週間は杖を使わないで外出してみた。
電車やバスなど乗り物の乗降、乗車中の揺れやブレーキをかけた時の踏ん張り、駅や建物の階段の昇り降り、坂道の歩行等相当程度杖に頼っていることを実感した。杖無しでは左足(健側)が杖の代わりを果たしており、相当の負担が掛かっていたのだろう。
すこし急激に変化させすぎたのかもしれない。4年もの間杖に頼ってきたのだから、杖を止めるのに手順を踏んで、少しづつ馴らしていく必要がありそうだ。
そして、右足(麻痺側)にもっとウェイトを掛ける訓練をして、左足(健側)に掛かる負担を軽減させ、左右のバランスをよくすれば、杖は不要になるし腰痛は治まっていくだろう。
腰痛体操
不良姿勢や腰周辺の筋力が弱いと腰部に集中して力が加わるため、過度な負担がかかり痛みが生じます。腰痛の防止には腹筋やストレッチなどの運動が効果的です。痛みがある場合には無理しないこと。(ボディ・ケア・ブック2より)




脳卒中には大きく二種類に分けられる。一つは脳の血管が「詰まる」ことによる脳梗塞。もう一つは脳の血管が「破れる」ことによる脳出血。

脳の血管が詰まり、その先に血液がいかなくなると、脳細胞が死んでしまう。これが脳梗塞だが、三種類ある。心臓など他からから血栓が流れてくる脳塞栓、太い血管内に血栓ができるアテローム血栓性梗塞、動脈硬化などで細い血管が詰まるラクナ梗塞がある。
私の場合、心臓に持病はなく心原性脳塞栓ではないが、身体のどこかでできた血栓が脳に流れてきて、左脳の運動を司る領野を直撃した脳塞栓である。(「発症した当時」の「予兆は全くなっかた」を参照)
血栓は簡単に、始終出来るものなのか?
そして、簡単に剥がれて、血管の中を流れて、脳に達するものなのか?
心臓で血栓が出来た場合は、脳動脈を通って脳に達することはわかるが、他で出来た血栓はどういうルートで脳に達するのか?(一端、心臓を経由するしかない?)
未だに、原因となった血栓がどこに出来たのかは不明のままだ。公式には、一週間前の痔の手術は脳塞栓とは無関係とされている。
ただ、私のリハビリ・スケジュールを作成した整形外科の主治医は、手術中に血塊ができる可能性が、全く無いとは言い切れないとしている。勿論その因果関係を証明することは出来ないし、いまさら証明しても死んだ脳細胞が蘇るわけではない。
最近、次のような記事を見つけた。(01/11/27 JIJI PRESS)
足の動脈硬化に対する遺伝子治療で、血管を撮影するために、腕からカテーテルを使って造影剤を入れたところ、カテーテルが血管内に付着していた血栓をはがし、この血栓が流れて脳の血管に詰まって脳梗塞になったというもの。
カテーテル操作に問題があったというより、患者の年齢(60歳代)からして、血栓があるのはある程度自然のことで、偶発的事故ということのようだ。
同様の脳梗塞は通常のカテーテル操作でも起こり、遺伝子治療が直接の原因ではないとみられることから、今後も同治療は継続していくとのことだ。
(9) 杖よさらば!ご苦労さま
2001年12月に通勤時の杖の使用を止めた。土・日曜等休みの日の犬の散歩などの際の不使用はかなり前から実行していたが、平日杖を持たずに出勤できる様になるまでに、病気してから4年5ヶ月が経っていた。
通勤の際には、色々危険というかヒヤットすることも多い。例えば、
多分もっと早くに杖無しで歩けたとは思うが、上記の通り”通勤”の問題もあったが、”元どおりに歩く”というか”正しく歩く”ことを目標にしていたので、落ちた筋肉が元に戻るまでは無理しないで、じっくりリハビリに専念しようと考えた。
そして、2000年に入ってから手、腕そして足の各部位が飛躍的に改善したので、杖なしでも通勤が可能ではないかと思えるようになていった。そして最近は、精神的にも余裕がでてきたことから、杖を持っていることが煩わしく思えるようになってきた。
歩く動作は、大雑把にみれば足を前に出せば進むことはできるといえるが、実際には脚の各部位の微妙な動きの変化、さらには腰、腕など全身のバランスで”正しい歩き”が可能となる。さらにそれをコントロールしているのが脳の運動野をはじめとする脳の各分野である。一箇所でも梗塞があると”正しい動き”の指令がでなくなる。
<『脳と運動』のページを参照>
私の”正しい歩き”とは、入場行進の時のように背筋を伸ばし、しっかり腕を前後に振って歩く姿を想定している。
腕をリズミカルに振って、前進の推進力とするには、肩を前後に動かす、特に後ろへ引く力が働くことが大事になる。これはまだ改善途上にある。
(10) 本当の意味での復職とは?
このホームページを立ち上げたのが2001年2月だから1年が過ぎた。正直言ってここまで続くとは思わなかった。
この1年の間も引き続き指・手・足の改善が続いたことが、大きな原動力になっている。
しかし、部分的に見れば健常者と変わらない動きが出来るといっても、社会は私をやはり障害者として扱う。
障害者手帳を持ち、定期的に医者の検診を受け、処方箋の薬を一生飲み続ける、常に再発の可能性を秘めている状況では健常者と同列に見てもらえないのも止むを得ないのかもしれない・・・・・・。
再発は絶対に避けたい。決して無理はしないで、自分の身体を第一に考えて行動せざるをえない。
最近は大分身体に自信が着いてきて、多少無理なこともしたりするが、「障害者」を強く意識せざるをえない出来事があった。
私は今53歳(年内に54歳)だが、同期入社100人のうち残っているのは1割を切る状況になっている。
制度上定年は60歳だけれども、経営職階(所謂管理職)の定年は55歳で、それまでに転職しなければならない。
会社が転出先を斡旋してくれるが、ここ数年リストラの嵐が吹き荒れており、斡旋先も数少なく簡単にはいかない。会社は独力で転出先を見つけることを推奨しているが、50歳をすぎると人材斡旋会社に登録すら出来ず、このご時世では自分で見つけるのは大変厳しい。
会社からしてみれば、一般(健常者)でもなかなか斡旋できない時に、なにも障害者を斡旋することはない。先方の企業に対しても失礼になると考える。
これが現実、世の中の常識なのだ!
団塊の世代にとって、この世に生まれた時から常に大人数の競争社会にいる。
小学校は教室の不足から、午前・午後に分かれた二部授業制が採られ、大学まで常に受験戦争の中にあり、社会に出れば仕事第一で働き、高度成長を支える企業戦士となり大量生産・大量消費の世の中を駆け抜けてきた。
この団塊の世代が成長するとともに、世の中に新しい社会現象を生み出し、新語を造り出してきた。
そして現在、大人数ゆえに人あまりの元凶となり、会社の存続を賭けた大リストラの中心として早期退職勧奨を受けたり、最悪クビを切られたりしている。頑張れば明るい未来が、悠々自適の老後が訪れる筈だった。
アメリカにはそれがある。ニューヨークに勤務していた頃、ある程度成功したアメリカ人はあくせく働くことはせず、家族とのコミュニケーションを第一にする生活を大切にする姿をみてきただけに、考え方の違いも然る事ながら社会制度の違い、特に退職年金制度の違い(国籍に関係なく日本人でも通算10年以上アメリカで働けば、日本に帰国していても退職後(確か60歳?)アメリカ政府は年金を連邦小切手で送ってくる)が大きいように思える。
現実に戻ると、55歳まで既に2年を切っているので、あまり時間的余裕はない。
自分で第二の人生をさがす、新しいチャレンジのスタートだ。
(11) 麻痺側の足がつる
5年経ってからの出来事として、就寝中右足(麻痺側)がつったことがある。
誹腹筋痙攣
テレビコマーシャルで、寝ている美女が突然痛がって、「足がつった」と言いながら、足の指を反らす仕草をする飲料水のCMがある。
水分不足の補給をイメージさせるものだが、私にはむしろ足の指を反らす場面のほうが強く印象に残っている。
痙攣というか、誹腹筋が拘縮して固まった感じになるので、この緊張を緩めるため、足の指を反らせてふくらはぎの縮んだ筋肉を伸ばす必要がある。
私の場合この時実際には、足の指を反らそうとしても、足首が固まってしまい、誹腹筋を伸ばすことができなかった。
反対の健常側の足は時々つることがあるが、発症後は麻痺側の右足は何故かつらなくなった。つって欲しいとは思わないが、不思議に思っていた。今回やっとつったので、ほっとした部分もある。
「つる」のは筋肉が疲労していたり、緊張があるとき等誰にでもおきるものであるが、病気してからは右足が疲労するほどには使われなくなった為だと思う。
昨年初夏装具から普通の靴に換え、今年(平成14年)から杖を使わなくなって、右足(麻痺側)を左足(健常側)と対等に使わないと正しく歩けないので、階段の昇り降りでも右足にしっかり重心を乗せるようにしているし、信号が変わりそうな時など、走る必要のある際には、右足のももを高く上げ、大きく遠くへ踏み出すように努めている。
こうした日常生活の変化で、今までより右足に負担がかかるようになり、最近の暑さで筋肉疲労とからだの水分不足が重なり、とうとう右足が悲鳴をあげたのだろう。
右足が一人前になる過程の、いい兆候だと受け止めている。
最近さぼっているアキレス腱伸ばし(<リハビリ>のページの<9. 足の動きづくり>を参照)のトレーニングを再開して、ふくらはぎ、足首の柔軟性を確保しよう。
2002年(平成14年)11月14日の夕刊フジの連載記事「がんばれサラリーマン健康ドック」に私のことが紹介された。
取材記者安達さんによる2時間のインタビューで、私の伝えたいことが巧みに盛り込まれたいい記事になっていると思う。
突然襲った脳塞栓
1997年7月、当時、東京三菱銀行主任調査役だった渡辺一正さん(53)は、海外転勤前に痔を治すため手術で1週間入院した。退院して帰宅。ベッドで横になり、ふと目覚めると、右半身の感覚がなくなっている。声を出そうとしても、「ウォー」と響くだけで言葉にならない。異変に気づいた妻が、すぐに渡辺さんが入院していた病院へ連絡を入れた。救急車で病院へ。検査の結果は脳塞栓(そくせん)。
血栓ができ脳に運ばれ詰まった
渡辺さんの身体のどこかに血栓ができ、それが脳に運ばれ詰まった状態だった。
「左脳の血管が3センチほど詰まり、運動神経部分に悪影響を及ぼしていました」
もともと渡辺さんは、健康診断において脳梗塞(こうそく)の要因となる動脈硬化の疑いはなかった。血圧が高めだけで健康そのもの。「なんで私が!」とショックを受けました。
根気強いリハビリで完全社会復帰
でも、落ち込むよりもリハビリ。早く元に戻りたいとの思いが強かったのです。 当時の上司からも、「リハビリに専念しなさい」と励まされた。
入院から2週間目に理学療法や作業療法、言語療法が徐々にスタート。
「そのとき、とても不思議に思ったのは、脳の一部分がダメージを受けただけなのに、どうして右半身が動かないのかということでした。適切な刺激を脳に与え続ければ、成長する脳細胞がある。他の細胞でカバーできるのではないかと…」
3ヵ月後に退院し、片道1時間を掛けて半年間病院へリハビリに通った。日常生活でも、動かない右半身を痛まない程度になるべく動かす。
そんな日々を経て、1998年4月に復職を果たした。初めの勤務時間は午前10時30分〜15時30分。医師と相談しながら、少しずつ勤務時間を延ばしていく。あきらめることなくリハビリも欠かさず行なった。
そして、倒れてから2年半後、通勤電車の中で、いつものように右手の指を左手で動かしていたときのこと、なんと右の親指がピクピクと自ら動き出したのだ。「すごく嬉しかったですよ。脳の伝達経路の再構築ができはじめたと実感しました。その後は、どんどん指が動くようになったのです。この気持は、指が自由に動く健常者にはわからないでしょう」
ナイフやフォークを持つのもOK。会議の記録も右手で書ける。今では自転車に乗れるまでに回復した。
もちろん、仕事も以前のように残業も平気になっている。今年8月に退職し、今は特別嘱託として働く渡辺さんは、「周囲の人からは顔色がいいといわれましてね。私自身も快調。振り返れば、以前に比べるとむしろ今の方が健康的で、長生きできるかなと思っています」。
《安達純子》
(13) 平成15年の新しい目標
先月(平成14年12月)社会保険庁から年金受給者現況届の照会があった。申請から5年経過したので、現在の状態を確認してきたのだ。 所定の診断書に、主治医に記入してもらうのだが、内容はとても細かい。(その一部/日常動作の障害程度は以下の通り)
| 発症6ヶ月 | 発症5年6ヶ月 | |
| つまむ(新聞紙が引抜けない) 握る(丸めた週刊誌が引抜けない) タオルを絞る(水をきれる) ひもを結ぶ さじで食事をする ズボンの前ボタンに手をやる 上着の着脱 ズボンの着脱 靴下を履く 歩く 片脚で立つ 階段を登る 階段を降りる |
右手 : × 右手 : × 両手 : × 両手 : × 左手 : ○ 右手 : × 右手 : × 左手 : ○ 右手 : × 左手 : ○ 右手 : × 左手 : ○ 右手 : × 室内 : ○ 戸外 : ○ 左足 : ○ 右足 : × 可能(手すり必要) 可能(手すり必要) |
右手 : ○ 右手 : ○ 両手 : ○ 両手 : ○ 左手 : ○ 右手 : ○ 右手 : ○ 左手 : ○ 右手 : ○ 左手 : ○ 右手 : ○ 左手 : ○ 右手 : ○ 室内 : ○ 戸外 : ○ 左足 : ○ 右足 : ○ 可能(手すり不要) 可能(手すり不要) |
| 杖 下肢補装具 握力 |
屋外歩行常時使用 屋外歩行右足常時使用 左手:: 35kg 右手 : 1kg |
不要 不要 左手 : 40kg 右手 : 27kg |
この比較表を見ると5年間の改善状況がよく判る。日常動作は全く不自由なく出来るようになった。
今年(平成15年)の目標は、器具を使って、病気で弱くなっている拮抗筋を強化することです。腕の場合は伸筋、足の場合は屈筋、そしてボディの場合は背筋。(筋力トレーニング)
これまで器具の使用は、強い筋力の強化にはなるものの、弱い拮抗筋の強化にはならないので、むしろ逆効果だと意識的に避けてきました。しかし、ここまで改善してくれば、次のステップ即ち筋力の強化に進んでも大丈夫と考えた結果です。
年齢からくる体力の衰えに、脳卒中のため運動不足に陥ったことによる筋力の衰えが加わっているのですから、健常者以上に筋力UPが必要です。
日本脳卒中協会が行っている脳卒中体験記「脳卒中後の私の人生」の第5回に応募したところ、優秀賞に選ばれました。今回は全国から59作品の応募があり、19作品が入選作候補として選出された。平成15年2月に選考会が行われて慎重な審議の結果、優秀賞2作品、佳作6作品が決まったそうだ。
この作品募集の趣旨は、つぎの3点にある。
優秀賞に選ばれたことは勿論嬉しいが、それ以上に私が言いたかったことを選考委員がそれぞれの視点から理解して下さったことがとても嬉しかった。
第5回(平成14年度)入選作品集から、私の作品「奇跡の軌跡」を以下に転載します。
〔優秀賞〕 奇跡の軌跡 渡辺 一正
『「奇跡だ」「よくここまで」と発症当時を知る人は勿論私の主治医までが驚いた。
先日(平成15年6月7日)立川市総合福祉センターにおいて、
「脳卒中から復活するための市民講座
奇跡の軌跡を知ろう!
本当に6ヶ月過ぎると回復は難しいのか?」
という題で、日本脳卒中協会が行っている脳卒中体験記「脳卒中後の私の人生」で優秀賞をとった「奇跡の軌跡」をもとに約1時間話しました。
この講座を企画したのは、中島和夫さんのNPO法人片麻痺ネットワークで、場所の確保・広報活動(チラシを市や社協への配布、新聞媒体の活用、インターネットでの広報)・プロジェクターの手配などすべてをして頂きました。
話だけでは、聞く方も疲れるので、今回はパワーポイントを使って画像をつくり、プロジェクターで映し出す方法をとりました。
これはよくプレゼンテーションを行うときに使われる手法ですが、話の要点が視覚として入って来るので、より強い印象を残すことができます。
私の話が、皆さんにどれだけ強い印象を残したかは不明ですが、パワーポイントの画像は成功したと思います。
当日のレジュメは次の通りです。
< 奇 跡 の 軌 跡 >
脳卒中体験記 : 渡辺 一正
URL:www.parkcity.ne.jp/~kzmsw/
1.脳からの指令
(1) 脳と運動
(2) 脳細胞の概念図
(3) 脳の代替機能・柔軟性
(4) 末端からの刺激が脳のネットワーク再構築
2.年別の主要出来事
1年目(平成9年7月〜10年6月) 発症(9.7)
退院(9.10)
復職(10.4)
病院からの自立(10.4)
2年目(平成10年7月〜11年6月)
3年目(平成11年7月〜12年6月) 指に動きが出る(11.11) ↑
--------------------------------------------------------2.5年
装具を止める(12.5) ↓
4年目(平成12年7月〜13年6月) 自転車に乗る(13.6)
5年目(平成13年7月〜14年6月) 杖無しで通勤(13.12)
6年目(平成14年7月〜15年5月) 筋力トレーニング(15.1)
3.モットー
(1) 改善しようという強い意志
(2) 継続するための精神力
(3) チャレンジ精神
4.リハビリ
(1) リハビリの心得
@ 自分の努力
A 希望は小さめに
B 疲労は避ける
C 年齢を考える
(2) 目的
@ 拘縮を除く
A 筋力強化
B 脳中枢の運動系の伝達経路の形成
(16) 平成15年7月で7年目に突入
7月でいよいよ7年目に突入する。
振り返るといろいろあったものの、一言でいえば『自分でやらなければ、何事も始まらない』である。
片麻痺になって、まづ考えたことは、この身体をどうやって元に戻すかであった。
しかし現実は、車椅子が必要で、着替えも、入浴も、トイレも自分一人では何も出来ない状態であり、『元に戻る』などという戯言は誰も、妻さへ真面目に聞いてはくれなかった。
リハビリの傍ら、「脳」に関する本を数多く読んでみて、脳の凄さはとても表現できないほど偉大であることを知った。
脳が全滅していない限り、復活の可能性はある。それに賭けるしかないと決心した。(読んだ本の一覧は「参考文献」のページ参照)
私の50年程の人生の中で、これ程不明確でかつ何ら保証のない目標に向かっていくことは、これまで経験が無かった。
目標の設定、実行、管理、修正等をどのようにするかは、医師・理学療法士も作業療法士にも分らない。彼等は、あくまで入院中の患者を対象にプログラムを設定しているのであって、退院後のことは関知しないのである。
それでも、私は彼等と没交渉になることはなく、今でも定期的に薬の処方をしてもらいに行った折には、必ず彼等に現在の状態を説明して、様々な情報やリハビリのアドバイスを貰っている。
前章の(15)市民講座「奇跡の軌跡」で述べた『モットー』や『リハビリの心得』は、この6年間の試行錯誤の結果辿り着いたものです。
脳機能が回復するまで、脳のネットワークが繋がるまで、末端の筋肉の拘縮を如何にして防ぐことができるかが、リハビリのポイントです。
私の場合、脳のネットワークが繋がり始めるのに、そして指先に動きが出始めるまでに2年半掛かりました。その間指・手・肩等全ての筋肉が固まらないように努めていたので、ひとたび動き始めてからは改善のペースが、それまでの年単位から月単位へとスピードアップしていきました。
(「リハビリ」のページ参照)
自転車に乗れたことは、周囲の人には驚かれましたが、私としてはそれ以上に再び右手(麻痺側)で字を書き、箸を持って食事をするようになったことを嬉しく思っています。昔出来たことが、以前の当たり前の日常生活が再び戻ってきたのです。
最近、信号が青から黄に変わる時、以前は渡り切れないと判断したら待って次の安全な時渡るようにしてましたが、小走りで渡り切ることが出来るようになりました。小走りするとき、特別に身体が緊張することもなく、ごく自然にできるようになりました。これこそが私の目指しているもの、『元に戻る』とはこのことです。
まだタイムを計ったことが無いので、7年目の目標を「100米を30秒で走ること」にします。(乞うご期待!)
平成15年8月22日(金)テレビ東京(12ch)の午後5時からのニュース番組「ニュースアイ」に私と家族が登場しました。
何か事件を起こしてニュースネタになったわけではありません。
「ニュースアイ」の医療特集で、夏場は脳梗塞になる危険性が高まることをテーマにして、正しい情報や実態を伝えようという趣旨の内容。
体験者としての私の役割は、発症の要因といかに改善したかを見せること。
担当記者さんによると、今回のテーマの条件にぴったりな体験者をネットで検索していてこのホーム・ページを見つけたそうです。ネットが存在してなければ、対象者を探すことにもっと労力が必要だった事でしょう。これがネットの威力です。
それにしても、あわただしい3日間でした。メールでインタビューの依頼を受けたのが20日(水)で、翌21日(木)にカメラによるインタビュー、そして22日(金)編集して夕方5時すぎに放送する。テレビ局の中でも特にニュースの報道局は素早い対応が必要なのでしょうが、でも我々一般人にはこのスピード感にはただただビックリ。
ロングインタビューで、夕方5時半退社するところから始まり、通勤の間、そして自宅の様子までずっとカメラが回りっぱなしの密着取材の5時間でした。
記者さん、カメラ担当の方はじめスタッフの皆さんお疲れさまでした。
(18) 第2回市民講座の開催予定
前回6月に行った市民講座「奇跡の軌跡」の第2回を来る9月13日(土)午後2時より、場所は前回同様立川市総合福祉センターでおこないます。
先日のテレビ東京ニュースアイで放映されたビデオもやります。
<チラシ>の内容 :
脳卒中から復活するための市民講座
本当に6ヵ月過ぎると回復は難しいのか?
医者から「6ヵ月過ぎると回復は難しい」と言われると、死亡宣告に等しい衝
撃を受けるもの。しかし、私のように2年半経過してから動きが出始めるケース
も実際にある。決して「奇跡」でも「例外」でもない。ただ普通のケースより時
間がかかっただけだ。 (渡辺一正の脳卒中体験記より)
聞く!&話し合う!
第1部 渡辺一正が語る“奇跡の軌跡”(2時15分〜3時10分)
日本脳卒中協会の第5回脳卒中体験記に応募して、優秀賞
に選ばれました。今年2月20日国立大阪病院で、新聞界、
医師等当協会の会長・理事が選考委員として審査にあたりま
した。
第2部 中島和夫が語る“可能性への挑戦” (3時20分〜4時15分)
脳出血で倒れ右半身麻痺・失語症となるが、1年半後には
職場復帰している。その体験を書いた本は、ネットで大評判
になり、今もなお売れ続け、「医学常識に明日への希望を閉ざ
されている人々に」挑戦への勇気を与えている。
日 時:平成15年9月13日(土) 午後2時00分〜4時15分
場 所:
定 員:70名(事前申し込み不用) 参加費用は無料
★・☆・★ E-mail又はTELでお問合せ下さい。★・☆・★
問合せ先:NPO法人 片麻痺ネットワーク 担当・中島
E-mail:kazuo@m-net.ne.jp TEL 042-535-0351
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発症から2年経過してもまだ右手に動きは戻っておらず、腕を上げることも出きず、指は丸まって開かない状態でした。
右足は装具なしには歩けず、杖は必需品でした。
6年後の現在の姿と比較して、その違い・変化を実際に目の当たりにしていただいて、何がこのように変えたのかを知っていただきたい。
効果的リハビリとは何か?
リハビリの内容は変化していくもの?
日常生活が最高のリハビリ?
入院中にやっていたリハビリの中から選び出し、それぞれ何を目的に・どんな効果を狙いとして取り組んだかを解説した。
リハビリ器具は、病院にあった器具をまねて作ったり、廃品利用で工夫したりして用意しました。
(詳しくは「リハビリ」のページ (7) 腕の動きづくり (8) 発症時 (9) 足の動きづくり を参照ください)
リハビリを根気よく続けていれば、誰にでも何時か、必ず起こりうる変化であることを理解して頂ければ、私の目的は達せられたと思います。






(20) 市民公開シンポジウム「脳卒中を知る−その克服に向けて−」
2004年10月に開催された首題のシンポジウムはとても意義深い内容でした。
(財)難病医学研究財団が主催し、厚生労働省・東京都医師会・NHK・読売新聞社・日本脳卒中協会・日本脳卒中学会が後援しています。
<プログラム>
土曜日の午後1時に始まり、予定通りぴったり5時に終了しました。
講師の持ち時間は一人30分しかないので、プロジェクターを使いながらかなり皆さん駆け足で話をされました。
脳卒中の説明では、発症から3時間以内の早期治療の場合の完治の確率の高さとか、MRI等の画像診断の高度化とかの話には特に目新しい事実はありませんでした。
長嶋元巨人軍監督は心房細動による心原性脳塞栓症であることが判明したことが唯一の新事実でした。
今回是非話を聞きたいと思ったのは、「脳卒中をリハビリで治す」をテーマにした宮井ボバース病院院長です。
ボバース記念病院については、何度か話題にしてきましたので皆さんもご存知のことと思いますが、そこの院長から直接話しを聞くことができるまたと無い機会になりました。(大道会ボバース記念病院のHP)
ボバース記念病院のリハビリの基本的な思想が『脳に残る潜在的な機能に働きかけ、まひ側の能力をも引き出していこう』というものであること。
最近の米国の研究で、死んだ脳組織の周辺に脳に新しいネットワークが出来ること、そして脳の機能的再構成が行われることで機能回復に役立っていることが解ってきた。
リハビリテーション治療による機能回復を神経科学的に解明することは、さらに効果的な訓練方法の確立に役立ちます。そして、その成果は、患者さんの機能障害の程度を軽くし、社会復帰を助けることにつながると信じるもの。
麻痺側の手足を使うことが大事で、発症後1年経過した患者に改善がみられた。
最近は科学的リハビリが普及し始めており、MRIの活用、特に機能的MRIという方法で、運動中の脳の活動部位を苦痛なく調べることが可能になりました。
ボバース記念病院でもこの最新の検査機器を導入し、患者さん一人ひとりに神経科学的な根拠に基づいた最適な方法でリハビリテーションを提供するための研究を行っています。例えば、電極を沢山付けたヘルメットに磁石の刺激で、どの部位が反応しているかをモニターしながらリハビリを行う研究を行っている。
このシンポジウムに参加して、このような動きが始まっていることは、今後のリハビリのあり方を大きく変える原動力になると思うし、一刻も早く全国のリハビリ病院に拡がることを願わずにはいられないと思った。
(21) ゴルフ・ほろ苦い再デビュー
2005年5月に日本障害者ゴルフ協会主催の第5回日本片マヒ障害オープンゴルフ選手権が栃木県のウィングフィールドゴルフ倶楽部で開催された。
→ 詳細は当協会のHPを見てください

実に8年ぶりのゴルフだった。(感無量で涙が出るかと思ったが、そんな感傷に浸る余裕は全くなし)
入院中もリハビリに通っている頃も、まさか再びゴルフができるとは夢にも考えなかった。今回は途中でギブアップせずに18ホールを回り切ることが最大の目標だったので、その意味では第一関門は突破できた。(基本的にはカートでの移動なので楽に回れた) コースは広くユッタリしているが、左右が崖になっていることが多く、つま先上がり、崖下へ落としてつま先下がりなど斜面の途中から打つのはかなりしんどかった。でも谷底や崖の上への登り下りで、歩くことに関してはどんな地形でも大丈夫という自信がついた。

片麻痺になる前と同じゴルフが出来ないことは当然といえば当然であるが、自分の頭の中にあるゴルフのイメージは病気する前の姿しか存在しないので、今プレーしている現実のゴルフとの落差に愕然とした。因みにスコアは生涯ワーストの121。病気前の平均スコアは82〜83(オフィシャル・ハンディ
10)だったから40ストロークも悪化した。
参加した方の中では私の麻痺の程度は1級1種にも拘らず最も軽くみえる程改善していた。車椅子の方、杖をつきながらラウンドする方、麻痺側の手が使えず健手一本でスウィングする方等々皆さん重いハンディを持ちながらプレーを楽しんでおられる姿に大変勇気付けられた。 しかもスコアが100そこそこの方が何人もおられたので、またビックリ。
練習を開始して1ヶ月、思いどうりのスウィングが出来ない点を今後改善していきたい。
1.右手(麻痺側)がしっかりグリップ出来ない。
2.左右の手のバランスが悪く、テイクバックで右ひじを畳み込むことが出来ず、所謂フライングエルボーになる。
3.トップの位置が浅い。(肩は十分回るが、グリップの高さは低い)
4.スウィングの軌道が一定しない。トップ・ダフリ・チョロ・シャンクなんでもありの状態。
5.筋力が落ちているので、スウィングスピードが上がらず飛距離が出ない。(これは想像以上に落ちている)
修正課題は山積しているが、練習を積んで秋の日本障害者オープンゴルフ選手権に備えようと思っている。
(22) 佐藤さんのブログ「Buon Giorno ! (改称前:よっしーのページ」とリンク
神奈川県の介護老人保険施設で作業療法士をしている佐藤さんのウェブログ「Buon Giorno ! (改称前:よっしーのページ)」とリンクを貼りました。
「日々の勤務を通して感じたこと、考えたことを率直に綴っていきたい」とおっしゃっているように、ブログのテーマは介護保険、リハビリ、認知症、お年寄り、コミュニケーション等々幅広く取り上げています。
そこに私のHPを紹介して頂きました。
『
希望をもってリハビリにとりくんでいらっしゃる方のHPご紹介します。
作成日:2006/09/03
「勝手で気ままな独り言」
http://www1.parkcity.ne.jp/kzmsw/
管理者の渡辺さんは、平成9年に脳卒中後遺症右肩麻痺を発症されました。
その間、希望をもってリハビリに取り組み続け、現在も改善しつつあるとおっしゃっています。
初めてHPを拝見した時には、中身の充実とわかりやすさに驚きました。
はっきりいって、これほどの知識をもっていない療法士だっているでしょう。
ある女性とのメールのやりとりも公開されています。
その中に出てくる医師や療法士の女性に対する対応や態度には
憤りとともに悲しみがあふれてきました。
渡辺さんは、こう書いていらっしゃいます。
いくら経験があるとはいえ、素人の私にしか頼れないなんておかしい。
そうです。そのとおりです。
そして、今なおこの国のリハを提供する人たちの決して少なくない現状です。
渡辺さんは、HPのトップページにご自身の年ごとの変化として
お写真を掲載されていらっしゃいます。
改善傾向なのは、専門家でなくても一目瞭然です。
不特定多数の匿名のネット世界に
ご自身のお写真を掲載した渡辺さんのお心を思うと…。
丹念に集められた参考文献
わかりやすい生活の工夫
それらの陰にどれだけたくさんの文献を読み、考察し、試行し、応用されてきたことか…
同じ障害に苦しむ方はもちろん
リハやケアを提供される側の立場の方にも
ぜひ一度ご覧いただきたいと強く思いました。』
前々回No21でゴルフを再開したことを述べましたが、あれから1年半が経ちました。
月1回のペースで仲間とコースにでるようにしています。(一昨年が9回、昨年は17回) 近所のゴルフ練習場には毎週土日のどちらか、早朝に行くようにしています。
この運動がエネルギーの消費に役立つようで、コレステロールなどの蓄積を抑えることができ、健康維持に繋がっています。
脳梗塞の後遺症のため出来る運動に限りがある中で、ゴルフは最も激しい部類の運動になります。
練習場で100球、200球ときには300球とひたすらボールを打つこと、そしてコースに出れば雨・風・真夏の暑さ・手足の凍る寒さなど様々な気象条件の下でプレーしながら6kmくらい歩くことは大変いいトレーニングになります。
早寝早起きの生活が身につき、おかげ様で体重が標準体重を超えて『やや肥満』との判定以外に悪い数値は1つもなく、「適度な運動量で極めて健康体である」と壮年健康診断(人間ドック)で医者に言われました。
今回の検診の際、脳ドックも受けました。新たな問題部位は見つかりませんでしたが、古傷が小さくなっていることもありませんでした。生き残った周辺の脳神経が、肩代わりした死んだ部位に進出しているのではないかとある意味期待していましたが、それは有りませんでした。
さて、今年の目標はワンラウンド90でプレーすることです。
昨年後半は90台でプレーできりようになり、ハーフ46も出たので、今年中に目標はクリアしたいと思います。
鍵はアプローチとパットです。グリーン廻りでアプローチのミス、パットがノー感じ等バタバタしてしまい、思うようにスコアを伸ばせません。
細かいタッチを要求されるとき、右手が意志に反して勝手な強さで動くため、オーバーしたりショートしたり失敗の連続です。これを改善するのは簡単ではないと自覚しています。
いずれにしても、再開した1年半前に比べると、ゴルフになってきたことと、スコアの短縮に見られるように、飛躍的に改善したことは明らかです。
この1年、更なる改善を図ろうと思います。
(24) NHK情報ネットワーク村田幸子の「今日も元気で」−ラジオのようなホームページとリンク
NHKニュース・ワイドなどのキャスター・リポーターを、そして厚生行政担当のNHK解説委員を務めた村田幸子さんのHPは、見るだけでなく、現場を取材した内容を音声で伝えるラジオのようなホーム・ページです。「村田幸子の“今日も元気で”」
ラジオ深夜便「“老い”を豊かに」、うぇるふぇあ・りぽーと、おすすめイベント、情報交差点、季節の写真など様々な企画物コーナーと、村田幸子の往復書簡、電話訪問、電話相談・介護Q&A、耳寄りコラム、音のアーカイブ、お勧め元気旅など読者とのコミュニケーションの場を提供するコーナーがあります。
その中の「うぇるふぇあ・りぽーと」のコーナーで、福祉医療機構という独立行政法人から、高齢者、障害者の住宅福祉、子育て、障害者スポーツなどの活動に助成金を出す制度「長寿・子育て・障害者基金事業」に認定されたDGA(日本障害者ゴルフ協会)が取り上げられました。
ゴルフを通して片マヒの障害者のリハビリや社会復帰活動を支援するDGAの昨年末の「クリスマス忘年杯」の様子を取材し、“片マヒのゴルファーたち〜社会復帰もできた!〜”と題して最新リポートとしてアップされましたのでご紹介します。
取材にみえた広田さんは、太陽のない今にも降りだしそうな寒空のなか、ずっと我々のラウンドに同行されて、写真を撮ったり、インタビューを録音したりと精力的に動かれていました。
最初に申し上げたようにラジオのようなホームページですから、インタビューの録音が大きなウェイトを占め、音声部分を主体に構成・編集されています。
その中で私はかなり重要な役割を担っています。
まず、パッティングをしている写真が掲載され、そして音声部分の冒頭で私のナイスショットした打球音と同伴者の「ナイスオン」の掛け声で始まり、私やDGA理事長等のインタビューでこの会の活動目的・内容等が明らかにされ、最後に私から同じ障害を持つ人へのアドバイス「自ら一歩前へ踏み出そう」で締めくくられています。
皆さまお疲れさまでした。
09年(平成21年)6月、脳卒中後遺障害者を支援する名古屋のNPO法人ドリーム主催の講演会で、後遺障害を乗り越えた13年の足跡を当事者として話しをし、そして、河津先生とともにディスカッションを行いました。
脳卒中のリハビリを続けている方、その家族、医療関係者など約50名ほど集まりました。
(写真はNPO法人ドリームのHPより)
【テーマ】
@ 自己紹介
A 年別の主要改善状況
B 脳の柔軟性
C リハビリ
D モットー
E その他
【年別の主要改善状況】
主要な変化
1年目(平成9年) 発症(9.7)退院(9.10)
2年目(平成10年) 復職(10.4)
3年目(平成11年) 指に動きが出る(11.11)
----------------------------------------3.5年目
4年目(平成12年) 装具をやめる(12.5)
5年目(平成13年) 自転車に乗る(13.6)
杖なしで通勤(13.12)
6年目(平成14年) 筋力トレーニング(15.1)
9年目(平成17年) ゴルフ再開
【モットー】
@ 改善させるという強い意思
A 継続するための精神力
B チャレンジ精神
脳からの指令が末端の神経に繋がれば、必ず動き始めるので、脳のネットワークの再構築を信じて続けましょう。
09年8月後半、テレビ朝日夕方の小宮悦子がキャスターを務めるスーパーJチャンネルの特集「冬だけではない! 夏の脳梗塞の恐怖 - 残暑の今、要注意」が放送された。
夏は特に汗を沢山かくので、水分補給が不足しがちになり、血液がドロドロの状態になり、血流が悪くなって脳梗塞になり易いことをテーマとしたもの。
03年に発症した西城秀樹はサウナが好きでよく利用していたが、水分補給が不十分であったと話していた。
私も取材の中で、発症が7月で水分補給は不十分というかしていなかったことを告白した。
取材では、予兆があったかどうか、発症した時の状況、後遺症の麻痺の状態、入院・通院期間・社会復帰の時期、リハビリに取り組んだ経過と改善状況、気をつけている事等についてインタビューを受けた。
特集で放送されたのは、上記インタビューのなかの発症した時の再現、リハビリの様子のほんの一部だけでありちょっと残念だったが、さすがに上手に編集するものだと感心した。


平成22年5月25日、幻冬舎ルネッサンスより「再起する脳−脳梗塞が改善した日」が出版され、大手書店やアマゾンのようなネット販売で購入できます。
平成9年夏、私が脳梗塞で倒れ、右半身麻痺になってから今日までの13年間の改善に向けての軌跡を纏めた闘病記本です。
「リハビリの様子、日々の出来事を今書き留めておかないと、忘却の彼方へ消えてしまう」との思いで、このネット「勝手で気ままな独り言」を始めたのですが、これらの記録が今回の出版のベースになりました。
そして、更に私のHPを見た多くの方から、
「渡辺さんのHPを見て驚きました」
「素晴らしいメッセージです」
「大変感謝しています」
「希望が持てるようになりました」
「実体験に基づいているので説得力が違います」
「決して諦めない気持ちを持ち続けることの大切さを知り、励みになりました」
などのコメントをいただきました。
これら皆さんのコメントが今回の「再起する脳−脳梗塞が改善した日」出版の原動力になりました。
「諦めてはいけない!脳梗塞は克服できる」と挑発的に見出しをつけましたが、「脳からの指令を末端の神経に伝達できれば、脳梗塞の後遺症は改善する。その鍵は、諦めかける自分を鼓舞して、リハビリを続ける強い精神力を持ち続けること」が本書のテーマです。
再起する脳−脳梗塞が改善した日
幻冬舎ルネッサンス
《目次》
はじめに
第1章 脳梗塞発症
・突然それはやって来た
・とまどいの入院生活
・リハビリ開始
・半年で改善は止まる?
・1ヶ月経過時のリハビリ
・やっと院外歩行へ
・家をバリアフリーに改築
・退院までになすべきこと
・周囲の励ましを力に
第2章 右半身麻痺との戦い
・職場復帰への不安
・通院生活
・リハビリ継続の心得
・鍛えて力をつける必要はない
・なんとか社会復帰
第3章 待ち続けた改善の兆し
・積極的に外出しよう
・片麻痺ネットワークから得たもの
・指が動き始めるまでの状態
・脳に関する一般常識
・脳のあらゆる機能を総動員する
・指の動きづくり
・腕の動きづくり
・足の動きづくり
・奇跡!指が動き始めた
第4章 本当の社会復帰に向けて
・再び右手で字を書くための訓練
・叶ったゴルフの約束
・脳の可塑性の証明
第5章 ホームページが生んだ絆
・脳梗塞患者同士の交流
・Aさんとのメール交換
おわりに
(28) 奇跡のゴルフ
2011年5月15〜16日に日本障害者ゴルフ協会主催の第11回 日本片マヒ障害オープンゴルフ選手権がレインボーヒルズカントリークラブ(千葉県銚子市))で開催された。傷害者32名(うち片マヒ16名)、健常者28名の計60名が参加した。
今大会のメインである片マヒ障害の部で念願の優勝することが出来きた。
ゴルフ再開後のベストスコア91で、2位に9ストローク差をつけました。
(21) ゴルフ・ほろ苦い再デビューで述べたように、2005年のこの大会でゴルフを再開してから、すでに6年が経過した。
両手でクラブを振ることはできたものの、病気する前のようなゴルフはとても無理であった。
せめてボギープレーが出来るようになりたいと思い、2007年初の目標に「ワンラウンド90」を掲げたものの、それすら達成できないまま4年が経ってしまった。
この間目標に近づくどころか、むしろ60歳を過ぎてから体力の低下が目立ち、飛距離が落ち、しかもアイアンのシャンクに悩まされるようになった。
グリーンの近くでは時計と反対の右回りをしてなかなかピンに近づけないといったゴルフが続き、スコアは悪くなる一方で、今年になって遂にハーフ60を叩くようになってしまっていた。
一時的に改善しても、永続きしないでまたシャンクがでる。
今大会前日のハーフの練習ラウンドの時も、やはりシャンク連発で気分はすっかり滅入ってしまった。
明日(大会当日)もこの状態から抜け出せない可能性が高く、その悪夢を見て夜中に目が覚めてしまった。
シャンクの原因はいくつも考えられるが、
1.立ち位置がボールに近すぎて、インパクトの時ボールがクラブフェースのネックに当たってしまう。
2.ダウンスウィングで上体が突っ込んでしまい、インパクトの時クラブフェースが戻りきらず開いたまま当たってしまう。
矯正方法にもいろいろ言われているが、
1.立ち位置を変える。アドレス時のボールの位置を体から離す(クラブフェースのトウ側に置く)
2.ダウンスウィングで上体が突っ込まないようにする。インパクト時の頭の位置はボールより後方にある。
どれも理論は理解できるものの、体が理解しないのでうまくいかない。
大会当日の朝、藁をもつかむ思いで競技委員でスターター役をする岡田さん*に「シャンクを止める方法が判りません」と尋ねた。
*岡田さんは、グランプリの部で優勝を争う上肢障害の方ですが、今回は怪我で競技には参加されなかった。
親切にいろいろアドバイスを頂いたが、その中にヒントがあった。
「僕はダウンスィングの時、右ひじがベルトのバックルに触れるように意識している」の一言に、私は「これだっ!」と強く共鳴した。
スウィングプレーン、軌道を外さないようスウィングするためには、右ひじが体の近くを通ることが大事なのだと理解した。
シャンクが出ないことに神経を使うのではなく、右ひじがバックルに触れることを意識するといいみたいだ。
早速、スターティングホールのウエスト1番ホールのセカンドショットを9番アイアンで、この意識をもって実践した。
結果はボールをしっかりヒットでき、真っ直ぐ飛んで行った。
「やった、シャンクしないぞ」と心のなかで叫んだ。
結局18ホール一度もシャンクせずにプレーができ、シャンクによるOBを連発して大叩きするショートホールが今回は全てパーかボギーで収まった。
おかげで大崩れすることなく、スコアが纏まったのである。
シャンクを気にしなくなると、ノビノビしたスウィングが出来るので良い結果がついてくる。
ゴルフはメンタルなスポーツだと改めて感じ、そしてシャンク病脱出がゴルフ復活への足掛かりとなる一日となった。
伝統ある日本片マヒ障害オープンゴルフ選手権の歴代チャンピョンに名を連ねることができたことを誇りに思う。
昨年の日本片マヒ障害オープンゴルフ選手権初優勝から早くも1年が経過した。
この間シャンク病を脱出したのはあの大会当日だけで、再び長いトンネルに逆戻りしてしまった。
OB連発でハーフ60を叩くことも度々で、同伴プレーヤーに「シャンクしるかもしれないから気を付けて」と声を掛けるのが常になっていた。
家の近くにあるゴルフフォーラム吉祥寺に週1回通うようになり、ビデオを見ながらプロにフォームをチェックしてもらった。
コースでプロのレッスンを受けることができる月例にも参加して、コース戦略の心得とフォーム改造に努めてきた。
今年の春ごろからフォーム改造の成果がみえてきて、「スウィングがとても良くなりました」とプロからお墨付きをもらった。
ハーフ44が何度かでるようになり、7年前ゴルフを再開したとき目標とした《ハーフ45、トータル90》の達成が目前に迫っている。
そして、5月12〜13日に日本障害者ゴルフ協会主催の第12回日本片マヒ障害オープンゴルフ選手権が昨年と同じレインボーヒルズカントリークラブ(千葉県銚子市))で開催された。
前日のハーフラウンド練習ではシャンクの懸念もなく44が出て、明日への期待が高まった。
結果は94(49・45)ストロークでスコアは不満足ながら昨年に続く連覇となった。
18ホールを回り切ることに主眼のあった初参加の2005年第5回大会で120を叩いた頃を思うと、優勝争いができるようになった現在は夢をみているようだ。
今年中に目標の90ストロークをクリアして、さらに高見の80台を目指したい。
最終目標は発症前のレベルまで戻すことだ。
その為には、昔のようにはいかないまでも飛距離を20〜30ヤード伸ばす必要がある。
腕に力が入りすぎていて、クラブヘッドがスムースにターンしなのでロスが大きいことと、腰のターンが出来ていないのでクラブが首筋に巻付くようなフィニッシュがとれないという問題点がある。
片マヒで右半身がうまく使えないので、ついつい力むし、右足の蹴りがなく腰がターンしないのだ。
これが改善した暁には完全復活を宣言できるかもしれない!!!!