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くたじゃ報 またも号外のようなもの

1995年3月20日朝

 松島玉三郎 (2005年3月発行)


早くも10年の歳月がたってしまった。
あの日、築地ですごした1日は、妙な1日だった。
(いちおう記録として書いておこうと、急に思い立ちました)

1995年3月20日朝8:00頃、
オウム真理教(現アーレフ)のメンバーによって、
営団地下鉄(現東京メトロ)の3路線にサリンが撒かれた。
大きな被害に見舞われた駅は、築地駅、霞ヶ関駅、神谷町駅。
当時、私は築地駅そばの音楽事務所に勤務していた。

その朝、私は車を走らせていた。
楽器運搬のため、自分の車にたくさん積みこんで、
築地の事務所に向かっていた。

事務所に近づくと、道がごったがえしている。
まさに事務所に入るための十字路に差し掛かったら、
なんと道路を封鎖しているではないか!

日比谷線築地駅の出口付近に、救急車や消防車が何台も停まっている。
日比谷線に何があったのだ?
今日、私が車を使う日でなければ、私が乗っていたはずの地下鉄だ!

  事務所前に車をつけたいのに、
  とにかく入れない。
  しかたないので、別の道から事務所に近づく。
  しかし、そちらからだと、事務所につづく
  一方通行の道は、本来進入禁止だ。
  そんなことは百も承知で、
  警察にみつからないか、おそるおそる
  道を逆走して、事務所にたどりつく。
  (警察が、そんな私にかまっていられない状況だったのを
  知るのはずいぶんあとのこと)

事務所に楽器を運び込む。
しかし異常に静かだ。
事務所の前には小学校があって、子供たちの体育の授業で
声が聞こえるはずなのに・・
誰もいない。
そのうち、学校のアナウンス。
「本日は臨時休校になりました。登校した生徒は
至急下校するように・・・」
アナウンスは繰り返されていた。
すでに、生徒はあらかた帰ったあとのようだった。

事務所にひとり私。
その部屋にTVはなかったのだ。事態がわからない。
しばらくして事務所の女の子、遅れて出社。
日比谷線が止まっていて、有楽町から歩いて到着、とのこと。
彼女に聞く。「何があったんだろう」
「わからないんだけど、毒ガスが発生したとか言ってるの」

事務所は6階にあった。
駅付近は見えるのだが、何が起こっているのかわからない。
消防隊の人々が動き回っているのが見えるだけ。
(階段に倒れこんだ被害者、途中で倒れた消防隊の面々、
などという映像は、後日ニュースで見ることになる。
このときは、そんなスゴい事が起こっているとは思わなかった)

  当時、私は歌手・俳優のあがた森魚のマネージャーをしていた。
  この日3月20日は、函館であがた森魚の名前を看板とした
  映画祭『第1回函館山ロープウェイ映画祭』が開かれていた。
  あがた森魚、事務所の社長、および映画・映像方面のスタッフの
  森達也氏が、前日から函館入りしていた。
  今回、私は東京事務所で留守番だった。

その函館から、事務所社長から電話が入る。
「TV見てびっくりしちゃたよ!大丈夫か?」
「大丈夫です。でも、いったい何が起こったのかわからないんです」

そのあとも、付き合いのある会社や事務所から、
ひっきりなしに電話が入る。
大丈夫ですか大丈夫ですか大丈夫ですか大丈夫ですか大丈夫ですか・・

ひとつ、意表をつく電話あり。
どうやら霊感師らしい方からの電話(社長の知り合いらしい)。
「あなたは今、災厄のある場所におられる。その場所からこそ、
災厄を押さえ込むように祈る必要があるのです。
祈ってください。みんなのために、世界のために!」
(私は、オウムよりも、この人の方がコワイかも・・)

電話が一段落ついた頃、屋外から、おそらく拡声器か何かで
告げているメッセージが聞こえてきた。
「・・毒ガスが発生していると思われます。付近住民の方は
避難していただきます。避難誘導に伺ったら、ただちに従って
ください・・」
おお、避難誘導に来るのか。
そんなに大気の状態が悪いの?
誘導に来る前に逃げるべきなのかな?

しかしその日1日、避難誘導には、ついに来なかった。

静かだ。
世界の終わりの日、なんてあるとは思ってないけど、
こんな日か?(アメリカ映画の見すぎ?)

いきなり事務所のドアをどんどんとたたく音!
「すいません!TV局の者です!あのー、この事務所の窓から
駅方面の映像を中継させていただけませんか?」
お金も払います、とおっしゃる。
この日は、忙しい用事が特になかったので、
許可してもいいかな、と思ったら、
「ああ、このアングル、あんまりうまく映らないなあ。
ごめんなさい、やめます!失礼しました!」
と去っていく。
TV屋を信じるなかれ。

夕方、消防車、救急車はまだ何台か停まってる。
函館の映画祭はうまくいってるかな、などとのんびりした
ことを考えている私。
日が暮れる。
事務所の女の子が帰る。
日比谷線、動いてるはずないから、とまた有楽町まで歩くという。
さらにもう少し私は事務所にいて、何か急な連絡がないかと
待っていたが、何もなし。私も帰ることにした。
来たときと同じく、車に乗りこみ、築地を後にした。

これが、あくまで「私の視点」による、10年前の3月20日の築地だ。
今あの日をふりかえり、改めて、
あの事件で亡くなった方々のご冥福を祈ります。
また、あの事件のため身体・精神に障害が残った方も多いと聞いてます。
その方々が、少しでも心身が良好な方向に向かうよう、祈ってます。

あの日、私が日比谷線に乗らなかった、という偶然。
そして、事務所で私とデスクを並べていた映像スタッフの
森達也氏が、あの日い合わせなかったという、別の偶然。
そう、森氏は、その後『A』および『A2』という、オウム真理教の
ドキュメンタリー映画を撮り、現代日本を告発する論客となる、
森達也氏その人である!

  事件の現場に居合わせるということは
  きわめて「静か」であることもある。そういう1日であった。

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