1。勤勉の源泉
日本人の勤勉さは一朝一夕でできたものではない。飛行場の駐車場で自動車を見れば格段の違いがある。成田ではピカピカに磨いてある。毎週の日曜ともなればどこの家でも自動車を磨いている。新星や彗星の捜索と発見をする日本人が多い。住宅地で路地を歩くと綺麗に掃除をしてある。一日に三回も家の前を掃く人もある。この日本人の勤勉さは何時から身に着いたものだろうか。勤勉な日本人は、働くこと、そのことに自体に慶びを感ずる。骨身を惜しまずに働いても、地震や火事や台風で風が吹き大雨が降り洪水が来ればもとの木阿弥である。成果や報酬を期待して働くのではない。
関孝和は、高等数学の問題を提出して解いて、これを算額にしてお宮に奉納した。江戸時代に数学の同好の士の集まりである結い(ゆい)は富豪の商人に広まった。日本では働くことと遊びは同じであった。寺社に奉納する巨木を山から総出で引き下ろす行事は(全構成員が参加する)遊びでもある。
日本で発展した高等数学は欧米で発展した高等数学と違う。遠洋航海の安全を図ると言う目的のあったグリニジ天文台で星表を作り、ニュートンは高等数学を考案して用いた。善人も人知れず悪を働き、悪人も人知れず善をする。善人が成仏できるなら、悪人が成仏できない筈がないと親鸞上人は「歎異抄」で言った。
日本人のDNAは十万年の時間をかけて出来たが、勤勉な性格は一万年の時間をかけて、技術は一千年の時間をかけて洗練され蓄積され、経済力はたった百年以内の成果である。
日本人の勤勉さは日本の扇状地に発展した水はけのよい田んぼによって育まれた。扇状地の田んぼに流す水は、用水と悪水と言う人工の通り道で配られ、水口の開け閉めによって流れは左右される。上の上から下の下へ水は流れる。村の寄り合いで、水の道は決められ皆の協力で作られた。全ての人が我侭を通すわけには行かない。全ての人は協力して次善で我慢しなければならない。手前勝手な人が大きな声で言っても賛成は得られない。勤勉な人が発言すれば、小さな声で人知れず言っても、平生の行いからそれが村の約束になった。勤勉さは長年のうちに皆が見て判断した。この勤勉さは現実的な皆が知っている事実である。皆が眼で見て、肌で感じた現実であり周りの人から聞ける事実でありこれからも期待できる(全員の眼に見える)真実なのである。
古来の日本文明は扇状地で育まれた。平野は河川の川筋が変わり氾濫に任せるほか無かった。河川の両側に人々が堤防を築いたのは江戸時代の前半である。真田幸村の祖先が出た真田の庄を尋ねた。長野県小県郡の急峻な扇状地だった。山裾から流れ出た河が、土砂を盛って扇型の地形をつくり、水はけが善い。陸稲を栽培するには理想的な土地である。真田一族は清和源氏の流れを汲む子孫と言われ、清和天皇(858-876)の皇子・皇孫の賜姓の源氏が清和源氏であるとされる。つまり、天皇の流れを組む豪族が、平野でなく、遠く
平家の落人と言う伝説も各地の山間地にある。山間地に、平野よりも早くから人々が住み着いて田畑を作った、ことを示しているのである。平家伝説には桓武天皇(781-806)や安徳天皇(1180-1186)の子孫と伝えられるものもある。そのような伝説のある地は、岩手や山形から四国や九州の山間部に及んでいる。有名な地は、新潟県秋山郷や福島県檜枝岐(ひのえまた)や岐阜県白川郷や徳島県租谷(いや)山や
2。知識の蓄積
技術は一朝一夕では身に付かない。試行錯誤には無限の年月がかかる。千年の間の蓄積が必要不可欠である。貿易による経済大国には百年もあればなれるが、直ぐに底を尽く。しかし技術大国になるには千年が必要である。
自動車を作るには部品の下請け企業が百、飛行機を作るには千の下請け企業、人工衛星を作るには更に十倍の一万の下請け企業が必要だそうだ。明治維新のあとで先進国に加わった後発の近代国家の中で技術大国になったのは日本だけである。当時日本から輸出した人力車が原型となって今でも東南アジアからインドで「リキシャ」と言われて走っている。造船業で世界一と言われる韓国も大型船の心臓部は日本から輸入している。世界の工場と言われる中国も、多くの部品を輸入して安い労働力による競争力で多くの製品を造り、それを再び輸出して外貨を稼いでいる。大陸に購買力のある消費市場は未だ生まれていない。
人が数人で話をしているところを遠くで見れば、それが日本人か欧米人か大陸人か直ちにわかる、と言う。顔を縦に振りながら話すのは日本人。顔を横に振っていれば欧米人。顔を縦にも横にも振らなければ大陸人だそうだ。日本人は、相手の同意を求めながら、相手に同意しながら(意を組みながら)会話する。欧米人は、自分の意見を言い、その論拠を説明して説得しようとする。ところが大陸人は、各自が意見を述べるが古事ことわざ格言のごとく言いっぱなしである。
日本は、それで八方美人とも言われる。話す相手ごとに違うことを言うとも言われる。とにかく、異論を述べて気まずくならないように、相手の意を組んで同意できることを探す。自転車で出会い頭に衝突した二人が互いに「すみません」を繰り返している。両者にそれぞれ謝るべき落ち度があったのか、あるいは一応謝って置いた方が気まずくならないだろうと先読みをしているのだろうか。
その結果として何時の間にか、相手の言うことにも一理がある、と日本人は思ってしまう。日本人は、相手の立場に立って考えるのが、得意である。それで自分の立場は、損しないか、いやそこで「損」とは何か。損にも名誉ある損と不名誉な損がある。後の世になって賞賛される損もあれば、後の世になって唾棄される不名誉な利もある。
中国が望んでいるのは、アジアの勢力均衡ではなく、中国がアジアの覇権国になって、その下で日本が中国の最も役に立つ属国になることだ(バーンスタインとマンロー1997(小野善邦1997訳)、草思社、246頁)。世界の未来像は、勢力均衡か朝貢体制か、政策としての関与か封じ込めか。関与は譲歩を生み強い意志を持った者が弱者に強者の意見を押し付けて朝貢体制を築く、封じ込めは相互に対立を生むが自制して自己責任を貫けば諸国の間は勢力均衡で推移する。
勢力均衡は、自ら助ける者を援ける。勤勉を持って働く者が生き残る。自由と平等を掲げる欧米は勢力均衡を目指すが、大陸は朝貢体制を、実現しようとする。日本は、自由と平等を掲げる欧米の仲間から脱落して、いやいやながら大陸の朝貢体制に入らざるを得ないであろうと、文明の衝突(ハンチントン)に書いてある。日本が(欧米からも大陸からも独立して)第三の道を採ることができるか。使い捨ての消費は浪費である。自分に厳しい抑制と鍛錬、そして美を自然の中に見出す。一人一人の生き方が最後の勝負になる。日本人の勤勉さが、無欲の勤勉さがものを言うときが来る。一万年の時の中で鍛えられた勤勉さこそ日本人のかけがえの無い本性なのである。
3。外貨資産
日本は少子高齢化時代である。その日本で経済政策は如何にあるべきか。ここ十年来の不景気の最大原因は、バブル期における過剰投資と子育てを称揚する政策のないこと、である。国立社会保障・人口問題研究所が、日本の人口動態の予測を間違えて過剰投資を誘発した。国立社会保障・人口問題研究所は、過去25年間に、5年毎の予測を5回大きく間違えて、間違えたと公表しなかった。政府は公共投資を、その予測に沿って過剰投資して、続いて過剰な民間投資を誘発した。過去に研究所が発表した日本の将来推計人口が間違いで、その結果誘発された供給過剰を世間が不問に附した。そこへ中国大陸に生産拠点を移した製造業者から安価な製品が供給され世界的なデフレを呼んだ。
研究所が過去に発表した日本の将来推計人口が大きな間違いだった。計算機による推計も所詮は恣意的な希望であり大衆の空頼みだった。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成14年5月)から数字を抜書きする(岩上安身2002年10月、日本人が消滅する日、正論、扶桑社)。
すべての男女が夫婦になり、すべての女性が平均二人の子を育てると、(長期の)人口は維持される。人口を維持する最低の期待値は2.00(合計特殊出生率)であるが、成年に達する前に死亡する確率から人口維持は2.08(人口置換水準)で実現するとされる。合計特殊出生率実績値は1975年以後2.00を割り込み下降しているが、研究所は、いずれの年度の予測値も数年で反転して上昇に転じ一定値に落ち着くと(希望的に予想して予測値として)発表した。いずれも数年後に間違いであることがわかった。1975年以降2000年までの四半世紀に実績値は0.7下降した。1986年推計まで各年ともに合計特殊出生率は2.00以上またはそれに近い値を一世代後の予測値としたが、1992年推計以降では合計特殊出生率の一世代後の予測値でさえも2.00を大きく割り込んだ。
合計特殊出生率を5年毎に、年号に続き実績値o、1976年発表の予測値c1、1981年発表の予測値c2、1986年発表の予測値c3、1992年発表の予測値c4、1997年発表の予測値c5として表にする。
年号 実績値 c1(o−c1) c2 (o−c2) c3 (o−c3) c4 (o−c4) c5 (o−c5)
1985 1.76 2.12(−0.36)1.70(+0.06)
1990 1.56 2.12(−0.56)1.75(−0.19)1.86(−0.30)
1995 1.45 2.12(−0.67)1.81(−0.36)1.95(−0.50)1.52(−0.07)
2000 1.31 2.12(−0.81)1.88(−0.57)1.97(−0.66)1.62(−0.31)1.39(−0.28)
現代日本の少子高齢化は有史以来どの国にも無かったくらいに高速である。出生数の急激な減少に見合った政府の経済政策がない。最大の経済需要は、子育て中の若年層から起こる。人は情報力・物は技術力・金は経済力である。日本の経済力の元は技術力である。技術は勤勉さに依って蓄えられた。情報力は人に依って生み出される。日本には経済力も技術力もある。必要なのは人である。人は子育てによって、子育ては家庭によって、そして教育によって子供は大人になる。専業主婦を貶めてはいけない。地位や賃金を得て働く少数の女性も国の発展に尽くしたが、子育てをした多数の女性(専業主婦)も国の発展に大いに尽くした。子育てをする女性を顕彰している国が欧米にある。子育てする親が損をしたと思うような国はやがて滅びる。バブルの頃の資金を、その一部だけでも人つくりに投資すべきであった。今からでも人つくりに力を入れたい。
4。人口爆発の原因
日・米・欧は世界経済を担う三本の鼎である。未来のエネルギーの研究や天気予報のための気象衛星や宇宙観測機器の建造に三分の一ずつの資金を負担をしている。世界の人口では中国とインドが多く、国家の面積ではロシアとカナダが大きい。世界の文明として、日本と欧米中東と大陸を採り上げる。日本は道徳、欧米中東は法治、大陸は人治。日本は恥と畏れ、欧米中東は愛と憎しみ、大陸は妬みと恨み。日本は忠臣蔵、欧米中東はベニスの商人、大陸は三国志演義。日本ではすべてに神が宿ると想う、欧米中東では全能の唯一絶対神に各人が告白して救済を求める、大陸では過去を打ち壊し未来を信じない、今の自己のみを尊いとする。日本では「人並みに」、欧米中東では「他人は他人」、大陸では「他人よりも上に」と思う。
人間は、宇宙観を共有できるが、人生観を共有できない、人生観は百人百様である。世界観は国による。世界は個人の集合ではない。個人は家族に育まれ人間になり、言葉で考える。言葉で覚えるのが、ものの見方である。風俗や習慣や伝統が道徳を作り歴史を作る。言葉つまり言語は世界に数百数千あるとされる。言語が文明を作っている。
子育てする親が、成長する子に喜びと自信と誇りと義務感と責任感を持ち、国は子育てする親を顕彰し大切にする。子は次代の日本であり今の世代は私たちの親に育まれたことを感謝し誇り継承する。人の人生観は百人百様であるが、先祖から子孫に伝わるそれぞれの文明を持っているのが人の共通点である。
共生と言う言葉がある。同じ言葉でも日本と欧米と大陸で文明が違えば言葉の意味が違う。日本では、人と自然とが共に助け合って生きるのが共生である。欧米では、人が共に競い合って生きるのが共生だと解釈する。大陸では、人が互いに相手を共に食い合って生きるのが共生と解釈する。
人類の経済規模は、地球の過去の資産(化石燃料=石油=エネルギー)の取り崩しで過去百年拡大したが、結局は未来において、将来世代の前倒し資産(国債)の不良債権化は免れない。日本は米国債を大量に買っているが、売ることはできない。米国は、日本が米国債を買えば、日本の製品を米国は輸入する、と言う。実際に日本の製品を買うのは、日本の製品の性能がいいことを米国の一人一人が判断して買うのであるが、その値段には米国の関税が加算される。日本は、国家の軍隊を持たず米国軍隊が日本を守る、この現状はやがて終わり日本は自前で国民を護るときが来る。
太陽は数十億年後に膨らんで赤色巨星となり、地球は焦熱地獄となるが、それ以前に植物が絶滅、その前に動物が絶滅、人はそのはるか以前に絶滅する。さて最後まで生き残る文明は日本か欧米か大陸か。
人類の起源は猿人・原人・旧人・新人を経て氷河期を乗り切る知恵を得たものが生き延びた結果とされる。さて猿人も原人も旧人も絶滅した原因は知恵が足りなかった結果か。遺伝学の教えるところによれば血液のなかのDNAは先祖から来る。日本人の起源をたどるとバイカル湖の北の人々と近縁だそうだ。これは政治的な秩序を整える力は北から来て女に子を産ませたことを示す(父系の社会=権力)。しかし、日本語や主食の米や高床式の倉庫や風俗習慣などは南方系である(文化と文明=権威)。気候が変化したときには、日本の本州の長い海岸線を南に北に移動して食料を確保した(食料と技術=財力)。日本文明をよくかき回して均一化した。日本の神々は全能ではないが助け合ったのである。
5。戦争と平和
政治力と軍事力と経済力は互いに補完する。公式に核兵器を持つのは、アメリカ(1945)、ソ連(1949)、英(1952)、仏(1957)、中(1964)、の国連常任理事国五カ国である。ところが核保有国はインド(1974)とパキスタンの他に、南アフリカ共和国、イスラエル、サウジアラビア、イラク、イラン、北朝鮮など続々と疑いのある国は増えている。
日本は、諸外国の情報を自力で得ることなく、諸外国の政府が公式に発表する情報を信用することにしている。
国際連合は、第二次世界大戦の終了間際に戦後の国際秩序の枠組みとして戦勝国が創設した。戦後処理は戦勝国の国際論理で別途行われ、敗戦した国家も後年に加入した。日本は80番目に加入した。現在国連の加盟国家は192である。しかし、核兵器をもっている五つの常任理事国の合意が無ければ国連は動けない。戦後1990年まで国連はソ連の拒否権で数多くの戦争を阻止できなかった。国連の費用は、各国の拠出金で賄われている。日本は(米国と並んで)国連の20%の費用を拠出しているが、主導権はない。ODAの拠出金額は米国と並んで世界一である。ODAは無償の贈与と有償の借款からなるが、借款もほとんど踏み倒されるだろう。
日本は朝鮮に、1910年の併合以来1945年まで大変な金額の国家予算を内地から持ち出して、発電所や道路や学校を作り、敗戦で現地に残し現在の韓国と北朝鮮の経済を支えている。内地の日本人から見れば無駄なことになった。日本がしたことは、朝鮮の既得権益を持っていた朝鮮人から見れば余計なおせっかいだった。内鮮一体は間違いだった。日本文化と朝鮮文化の違いは大きかった。本人から見れば献身でも、される人から見れば余計なおせっかいであることもある。おせっかいをやく人は下心を疑われ、実際に下心がないとも言い切れない、時代が変われば世界の評価も変わる。
献身的な国際貢献や奉仕やODAも余計なおせっかいかも知れない、いや現在すでに経済的侵略と言う人がいる。日本は自力で、諸外国の情報を得て独自の判断と評価で実力に見合った国家の方針を義務感と責任感で決めたい。文明が違えば、大衆のものの見方も違う。危機に際して大衆のとっさの判断も違う。国家の方針は大衆のものの見方(文明)で左右される。
「平和と国益は、相手側が友好的で理性的な行動をとるという仮定のうえに成り立つものではなく、事態の急変や利害の不一致を先取りする賢明な努力があってはじめて確保されるものである」(バーンスタインとマンロー173頁)。「中国の上位の外交問題専門家は言った、歴史的に中国の指導者は力を信じて来た。力は天安門でも威力を発揮した。中国の価値観では、常に主権、国家的統一、政治体制の維持のほうが平和よりも重要なのだ」(同上183頁)。中国に対する方法には「関与」と「封じ込め」がある(同上229頁)。関与は、相手と話し合い交渉し譲歩し制裁を避けて抑制し忍耐するように促す。封じ込めは、相手は膨張主義で世界征服を目論でいるとして不信と敵意を持って放置する。勢力均衡と覇権国家の出現のいずれを期待するか。二十世紀の前半には強い日本と弱い大陸が問題を起こした。今は弱い日本と強い大陸が問題を起こす危険がある、とバーンスタインとマンロー(246頁)は言う。中国は大陸の覇権国家を目指しているが覇権国家はその周辺国家を支配しやがて周辺海洋から世界支配を目論むだろう。大陸文明には現状に満足しない向上心が旺盛で能力と本心を隠して長期戦略を立てる賢さがある。
6。文明と社会
現在の日本は国家主権を持っていない。このことを多くの人は自覚していない。自覚している人がいても自覚していない振りをして「日本は独立国である」と言う。国はすべての諸外国に対して協調外交できない。国家の条件は国民の財産と生命を護ることである。他国に自国民が拉致されても自力で原状回復できない国家は自立していると言えない。
国家は17世紀にできた、それ以前になかった、と言う考えがある。ナポレオンが国民軍を作り、これが強かったのでヨーロッパ諸国がまねた。ナポレオン以前の軍隊は傭兵だった。傭兵は死ねば元も子もない、負けそうな場合には闘わない、だから弱い。軍服を着せて傭兵の脱走を防いだ。ナポレオンは「国家は国民が護るのだ」と言って敵愾心を煽ったので強い軍隊ができた。国民は、その代わりに国家に財産と生命を護って貰う。それが国民軍である、そのために国家は義務教育をして読み書き算盤ができる国民ならば、だれでも(自動車運転など特殊技能習得に)軍隊に入れるようにした。だから欧米では義務教育は(国家による)強制教育(compulsory
education)と言われる。
欧米では「人とは何か」と議論を深めて学問が形成された。ユダヤ教にもキリスト教にもイスラム教にも数多くの分派が長年月にわたって独立して存続する。一神教の全能の神は、神の前では全ての「人」は対等である、とするが、「人」でなければ動物であり、動物は「人」に完全服従しなければならない。人権の争点は「人とはキリスト教の信者だけ」か「信者になる可能性のある者を含むか」であった。
軍事力はアメリカが強いが、中国には別の強さがある。SARSは世界中に輸出され、収賄贈与でニクソンもクリントンもつまずいた。日本には「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す」と(無法の国には)距離を置いて、科挙や纏足や宦官や虐殺や拉致や(三国志演義にあるような)食人の風習の侵入を防いだ歴史がある。大陸では国家の中枢に天下の秩序があり周辺を南蛮・北荻・東夷・西戎として蔑んだ。従って大陸の常識では天下に国家は一つしかないのであり、国家が発する言葉は絶対正義なのである。
現代日本に不足しているのは戦史研究。世界大戦が起きた理由、戦争の帰趨が決まった理由、戦時法、国際連盟、国際連合、G5、G7、ニュールングベルク裁判、東京裁判などの関連の研究が必要である。現代の日本では戦争を忌み嫌い、見ない・聞かない・考えない、と言う風潮がある。日本(権威と権力と財力の分離が望ましいとする考え)と欧米(ユダヤ・キリスト・イスラムの正義と不正義)と大陸(中・ロ・韓・北・モンゴル・台湾では長い物に巻かれろ)の民衆の常識の違いの研究も不足している。
日本人にとって働くことは慶びである。天照大神も機織に甲斐甲斐しく働く。一神教の楽園では働くのは罰を受ける者のみである。神はイブをアダムの胸の骨から造った(男尊女卑)。大陸人は体制が変わると前代の神はすべて駆逐する。
日本のユーモアは人畜無害、一神教のそれは警句であり揶揄であり聞く人が聞けば人を刺す力がある、大陸人は(できるかぎり一般化した)格言を発するが変わり身も速い。
交差点で日本人は信号が変わるまで辛抱強く待つ。日本は道徳(忠臣蔵)、欧米は法治(ベニスの商人)、大陸は人治(三国志演義)。個人個人で判断して赤信号を突破する訓練を欧米人の監督トルシエが日本のサッカー選手に課したとか。大陸人あるいは華僑のいる都会では、朝夕のラッシュ時に交差点は自動車も身動きならなくなる、「上に政策があれば民衆には対策あり」、知恵を上下で出し合い生き抜く。
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